磯崎神社文書「新宮浦由来書上帳」
福岡県糟屋郡新宮町新宮の磯崎神社を投稿させて頂きます。
磯崎神社を投稿させて頂いた理由は、新宮町公式サイトを拝見しますと、新宮という地名の由来には諸説あるようですが、その中に、紀州熊野新宮浦に由来するという説も紹介されているからです。下記に一部を抜粋コピーさせて頂きます。
磯崎神社文書に「新宮浦由来書上帳」がある。その中に、新宮浦と改名したのは次のような理由があるからであると出ている。「その昔紀州熊野新宮浦より速玉(はやたま)の御神を此地に来臨したまい、漁人網に引き上げ、新宮大明神と請し奉、唯今下府・上府両村之氏神と尊敬仕候、故湊浦を新宮浦と改号し、岡・浦と分り候由申伝候」。
(新宮の由来 - 新宮町ホームページより)
以下、『磯崎神社』 現地案内板より
磯崎神社は、始め現在地より西方にあった磯崎の岬(新宮波止場付近)に鎮座されていましたが、暴風や怒濤のため、社殿の破損が心配されるため、村民がこの地に移さんと筑前藩主へ願い出ました。
貞享二年(1685年)筑前国主、松平右衛門佐光之(黒田光之)がこれを許して移転しました。
波際に高さ一丈(約2メートル)の石垣を築き、松を植え、その辰巳(東南)にあたる白砂青松の間(現在地)に本社を移し祀りました。
この時、石垣の内に漁家を現在の湊字古屋敷より移し、神宮浦を新宮浦と称するようになりました。
その後、元禄十三年(1700年)五月、拝殿を建立。
現在は、昭和九年十月(第・十四回遷座祭)に造営されました。
また、境内に「陰」「陽」の二個の石(子持ち石)があり、子どものない婦人が北にある陰石に腰掛けて祈願すれば、子宝に恵まれると伝えられています。
尚、境内の絵馬堂には、古き時 代の絵馬と寛延三年六月(1750年)黒田藩から寄進された狩野昌運の筆による「三十六歌仙」に公家衆が書いた寄会書の和歌が展示されています。
「御祭神」
大己貴命(オオナムチノミコト)
少彦名命(スクナヒコナノミコト)
素戔嗚命(スサノオノミコト)※ 黒田藩主筑前守継高より奉詠された和歌
「磯崎の宮居も清き新宮の なお行末を守れ神垣」(新宮町教育委員会)
境内社 恵比寿神社
境内社 竃戸神社
境内社 南風湊神社
境内社 宇賀神社(左) 天満宮(右)
庚申供養塔
子持ち石
子持ち石
浜辺近くの鳥居
楯の松原の砂浜(新宮海岸) 画面奥に見えているのが、磯崎鼻方面
瀬音さんのHP「瀬音の写真集」はこちら
(瀬音さん)
番外編 No.35
2015.4.20 UP
2020.2.19 更新