奈良時代の勧請と伝わる熊野神社
下船尾の熊野神社から北西の方向に徒歩約1時間ほど。
途中の常磐白鳥町にも熊野神社が存在していたのだが見落としてしまった。
藤原町藤代の熊野神社はフラガールで有名なスパリゾートハワイアンズにも近い。
社頭には「熊野神社」と刻まれた社号標、そこから十数段石段を登ったところに赤色の明神鳥居が立つ、そこから境内である。
鳥居の扁額には「熊野三社」とある。
拝殿の前には狛犬、左側には末社の八坂神社の祠、右側にも赤い鳥居の奥、二社の祠が祀られている。
八坂神社
二社の祠
(右側 稲荷神社・金刀比羅・痘瘡・鶴ヶ岡・菅原大神社 左側 古峯・三峯社)
拝殿の右側面には、奉納額が掲げられている。
「社前撃劔」と書かれているところから剣術なのだろう(大正期の奉納)。
左側面にもあったが内容は不明。
拝殿内には「熊野神社」の扁額が掲げられている。
その脇には「大山祇神社」の扁額もある。
(昭和に入り、常磐炭鉱の閉山に伴い、西部鉱口にあった山神が合祀されたもの)
御祭神
速玉之男命、伊弉册尊、事解之男命
御由緒
不詳。
延暦二年(783)、佐藤権守藤原吉次、紀州熊野権現を勧請、自ら神職となった。
同年廿一年、坂上田村麿社殿を建立、後小野篁が社殿を再営した。
社殿は、寛平(890年頃)天慶(940年頃)年中に、改築・補修が行われたが、
應永十七年(1410年)、領主磐前隆綱の落城の時に神領は悉く没収され社殿もまた荒廃した。
天文年中(1532~1555年)に火災にあい社殿・旧記を焼失した。
(祭神、由緒は、小泉明正『浜通りの熊野神社めぐり』 (歴史春秋出版)参照)
(TATSUさん)
No.1680
2013.1.31 UP
2020.9.6 更新
参考文献
- 小泉明正『浜通りの熊野神社めぐり』 歴史春秋出版