安土桃山時代に勧請された熊野神社
高崎市西国分町57?
前橋市青梨子の熊野神社よりしばらく南下したところに鎮座。
近くに上野国分寺跡がある。
鳥居の横には数基の道祖神。
拝殿には「熊埜皇大神」の神額が掲げられている。
拝殿右には朱色に塗られた境内社が一社。
覗き込むと「大口眞神護符」があった。三峯社であろうか。
拝殿裏には多くの石祠と道祖神が祀られている。
御祭神
速玉之男命
伊弉册命
事解之男命
(「前橋市史」参照)
櫛御氣野命
(「上野国神社明細帳」参照)
御由緒
不詳
上野国神名町に従三位大奈智明神と見えたるは、この社とおもわれる。
(「上野国神社明細帳」参照)
境内提示の「熊野神社の由来」より抜粋。
古文書によれば、大同年間紀州那智大社、熊野本宮、熊野新宮を併せた熊野三所権現を、大蔵坊により勧請されたと伝承される。
大蔵坊 ‥‥‥ 群馬町西国分、本山派修験。1486年、聖護院門跡道興滞在。
(TATSUさん)
No.1419
2011.3.2 UP
2021.5.17 更新
参考文献
- 『上野国神社明細帳』