明治末期に合祀されたが、現存
東武佐野線渡瀬駅より県道223号線を北に進み、 新義真言宗観音寺の前のヒラタ美容室の隣に鎮座している。
境内は狭い。
御祭神
速玉之男命
伊弉冉命
事解之男命
御由緒
不詳
「封内経界図誌」(嘉永六年編集開始、安政二年完成)の足次村の絵図を見ると、字クマノ木、字村内の二ヶ所に「クマノ宮」が存在していた。場所からすると字村内の「クマノ宮」が該当する。
この熊野神社は、以前参拝した同じ足次町に鎮座する赤城神社に明治四十年に合祀された字登戸の熊野神社と思われる。
この熊野神社には境内社として三峯社、浅間社が祀られていた。
合祀後も社殿は存続したようだ。
ちなみに字クマノ木に鎮座していた「クマノ宮」は見つからなかった。
(御祭神、由緒は「上野国神社明細帳」参照)
境内社
「熊野三社」と刻まれた神額が架かる祠の左側には鳥居と土盛りの上に「富士嶽神社」と「三峯神社」の祠が祀られている。
(TATSUさん)
No.1455
2011.5.13 UP
2021.5.20 更新
参考文献
- 『上野国神社明細帳』
- 『封内経界図誌』