イザナミの墓所と伝わる比婆山の麓に鎮座する熊野神社
熊野神社から約7km離れた所にある比婆山上のイザナミ神の御陵。中央がイワクラです。
比婆山神陵の伝承
比婆山は古事記所載の「「故(カレ)神避(カミサ)りましし伊邪那美神(イザナミノカミ)は出雲国(イズモノクニ)と伯伎国(ハハキノクニ)との境(サカイ)、比婆山(ヒバノヤマ)に葬(カク)しまつりき」とある比婆山で一名 美古登山(ミコトヤマ)とも言い、山上にある墳墓は伊邪那美神の鎮まります神陵として、古くから崇敬されてきた陵墓であると言われている。この陵墓は三町歩にわたる平坦地の中央を南北にやや長い経六十四米、周囲約二百米の大円墳が築かれ、即ち比婆山大神の神陵とされている。 南側正面には、一対の大イチイの樹が巨石を抱いて繁り聖域の門戸を形造る、周辺にも巨石を夫々抱く七本のイチイがあり千古の歴史を秘め古来神域の象徴として崇められてきた。麓の熊野神社は本宮と呼び、ここ神陵は奥の院と言われる。
(案内板より)
聖域の門戸である門栂(もんとが)
鳥尾(ちょうお)の滝(那智の滝)
伯耆の鳥上山(島根県横田町の船通山)に対して比婆山を鳥尾の峰といい、鳥尾の峰に対してこの滝を鳥尾の滝と呼ぶ。30m余の高さから落下する様から尾長鶏の尾を連想することもできる。別名「那智の滝」とも言われる。
(「古事記への路」案内板より)
磐境(いわさか)
磐境は、巨石に霊があると信じられていた古代の祭祀を行う場所のことで、奈良時代天平5年(733)に熊野神社の前称である比婆大神社が創建されるまで、比婆山御陵の祭儀がこの場所で行われていたと伝えられる。高さ約5m、周囲約23mで、そばの大杉の根本にある祠は、もとは大岩の上に祀られていた。
(境内案内板より)
奥出雲である比婆山の麓に鎮座する、熊野神社。神社境内や御陵の周囲や、あちこちに巨石がお祀りされています。熊野神社から一の宮、二の宮、三の宮や磐境を経て700m登った所にあるのが那智の滝といわれる鳥尾の滝。熊野那智大社の那智の滝とはまた違った趣の滝ですが、細く、長く、優美な姿が山の上から続いています。地元土産物店の御主人のお話によると、本来はこの那智の滝沿いに御陵まで上るのが、正式な参道なのだとか。(熊野神社から御陵まで那智の滝沿いの道だと徒歩、約7kmあります。)私は今回は広島の友人夫婦に案内してもらい、熊野神社から車で約30分行った所にある県民の森から御陵へ。立烏帽子山の駐車場まで歩きました。イザナミ神は日本書紀では紀伊国の有馬村(現・三重県熊野市有馬町の花窟神社)に葬られていることになっていますが、古事記ではこの比婆山に葬られています。森の奥の静かな御陵は樹木に守られ、御霊が鎮まる聖域というかんじでした。比婆山には広島県の天然記念物であるブナ林があり、新緑が美しく映える森の中、御陵までの道のりは素晴らしい景観で、山そのものが御神体であると思いました。
そしてこちらの写真は熊野神社前のイザナミ茶屋(平日はお休み)で作られている、イザナミせんべい。イザナミ米を用いたりしたものが数色あり、一緒に焼きこまれた花がきれいです。(そま記)
熊野神社「比婆大社」では、神社御神田において、古代米である「黒米」を栽(ツク)り「神饌(ミケ)」として祭神にお供えして、國の平穏と繁栄、そして皆様方々の健康と御多幸を祈願していますが、この古代米、特に「黒米(クロマイ)」を「伊邪那美命(イザナミノミコト)」に因む御饌(ミケ)米であることから伊邪那美神より御授かりし「イザナミ米」と命名し、命(ミコト)を崇拝していただく皆様方にお召し上って頂いて居ります。
(イザナミ茶屋の前にあったイザナミ茶屋店長さんの案内板より)
(そま)
thanks ますこちゃん夫妻
No.180
2003.5.28 UP
2019.11.3 更新