09/6/19
淡路島はかつて安宅水軍の統治を数百年にわたり受けていて、紀州と淡路の関係はこの時期に築かれたと思います。
島の東部の由良に立つと加太や雑賀の海岸線が意外な程近くに見えて驚いてしまう。
諭鶴羽神社と熊野権現の逸話もこの統治時代に作られたのではないでしょうか?
新宮神社は兵庫県神社誌には祭神が伊弉諾命となっているが、地元では熊野権現と云い、江戸期に編纂された地誌「味地草」(1857)にも熊野新宮と記されている。
(参照※ふるさとの神々と仏達:発行者淡路地方史研究会編より)
社殿の前はかなりの広場になっていて、玉垣補修や社殿再建の碑が建てられていました。
平野部の中に野球場ほどの面積で10メーター位の岡がある。
かつてはこの岡の上に社殿があったそうである。
現在、社殿は岡の下に遷座してあり岡上には自然石で作られた燈籠と社日塔が有った。
岡の上からは新宮池と呼ばれる灌漑用ため池と遥か遠方に諭鶴羽の山嶺が見て取れた。
岡の麓にある牛小屋からのんびりとした牛の声が響いてきていました。
(romiさん)
No.999
2009.7.7 UP
2021.5.20 更新
参考文献
- 淡路地方史研究会編『ふるさとの神々と仏達』