養老2年(718年)に熊野本宮から室根山に勧請
左の写真が室根神社新宮、右が室根神社本宮
(旧東磐井郡室根村折壁字室根山2)
御祭神
室根神社本宮:伊弉册命
室根神社新宮:速玉男命、事解男命
御由緒
海抜895・4メートル、室根村、大東町、千厩(せんまや)町、気仙郡に渡って山裾を広げる室根山の8号目に鎮座。室根山は別名「桔梗山」「卯辰山」と呼ばれ、日本武尊が鬼退治をしたという伝承から「鬼首(おにかべ・又は、おにこうべ)山」とも称された。養老2年(718年)に鎮守府将軍・大野東人(あずまんど)が蝦夷征討祈願の為に紀州・牟婁郡本宮村から熊野神勧請を元正天皇に願い出て、紀州から船団を組んで5ケ月を経て宮城県本吉郡唐桑町の鯖立(しびたて)に到着、舞根神社(瀬織津姫神社)を仮宮とし、のちに神託により現・室根山に勧請されたという。この勧請以来室根山は「牟婁峯(むろね)山」となり、安元元年(1175年)に「室根山」と改めたといわれている。正和2年(1313年)に葛西清信により熊野新宮を勧請、両宮とも数度の火災の為、再建されている。
国重要無形民俗文化財・室根神社大祭
祭り場にあるやぐら状の構築物・御仮宮。
本宮の高さ二丈五尺五寸、新宮の高さ二丈三尺五寸。
本宮・新宮両御神輿を担いで歩く人々。
五穀豊穣、大漁、平和祈願、交通安全、家内安全の願いをこめて、みちのくの荒祭りとして1280余年もの歴史を持つ国重要無形民俗文化財・室根神社大祭は、室根山に熊野神が勧請された年にならって潤年の翌年毎に3日間かけて行われる。大祭の進行は初日に馬場祓い、南流神社参詣、2日目に御神馬、大先司、御袋神社背負騎馬、荒馬先陣、袰揃い、忌夜祭等があり、3日目の午前一時に室根神社にて献膳、各神役参殿、御塩役が熊野神勧請の故事に因んだ舞根から塩水と新しい祓塩を奉献、長刀役が神前の長刀を用いて祓いの儀式、御鍵持参殿、一切の明かりを消した暗闇の中での御魂移しの式、この時に神官から陸尺頭(ろくしゃくがしら。神輿の担ぎ手の取締役)に一切の権限と共に神輿が渡される。本宮・新宮の御魂移しと両宮互いの準備が整った確認の伝令が7回行われると発輿式、神輿が出発した後に途中の農王社で新穀献納の式、大先司先乗り、御神馬、荒馬先陣、袰先陣、御袋神社背負騎馬等が途中山麓まで神輿を御迎えして前後に供奉し、折壁町で祓いの式等の途中行事が行われ、先陣・本陣・後陣の順に行列し、祭り場の松で出来た御仮宮に向かう。御仮宮では最大の盛り上がりを見せる、本宮と新宮の両御神輿の先着争いが行われる。
(そま)
No.170
2003.1.21 UP
2020.5.26 更新
参考文献
- 室根大祭協賛会発行『室根神社大祭記』