国重要無形民俗文化財・室根神社大祭
左の写真が室根神社新宮、右が室根神社本宮
(旧東磐井郡室根村折壁字室根山2)
室根神社大祭・新宮・本宮両御神輿の担ぎ手・陸尺の人々。
背印に◯の蛇の目紋が本宮、背印に菱の紋が新宮の法被です。
室根神社大祭・袰先陣。馬の背には(きょくろく)といわれる牡丹の造花が取り付けられ、馬の口取り2人に連れられて馬子歌を唄いながら歩きます。
豪華絢爛な行列が、祭り場まで続きます。
大祭の準備をして控えていた、小学生の舞姫。舞姫の奉納舞いは、昭和に始まったのだそうです。
先着が決まった後、御仮宮の周囲を行列する人々の中の神職さん。
2002年10月25日、26日、27日の3日間、岩手県東磐井郡室根村で国の重要無形民俗文化財「室根神社特別大祭」が行われ、大祭にあわせて創作太鼓フェスティバルがあり、室根村の友好提携都市である和歌山県の本宮町と埼玉県の吉川市からも、太鼓団体が友情出演しました。
本宮町からの一行も26日の朝に室根村に到着し、村役場を御案内いただいた後、室根山の8合目にある室根神社にて正面右側にある本宮の御社と左側にある新宮の御社を参拝させていただきました。何度か火災にあって再建されたという社殿からは、その歴史が伝わってくるような威厳が感じられました。(ちなみに両社の鈴がうまく鳴ると幸せになれるのだとか。)こちらの神社には養老2年(718年)に紀州の熊野神が分霊されていて、大祭ではその故事を再現するように3日かけて様々な行事が行われます。その中間日にあたる26日、村役場の展望台からは眼下に御神馬が見えたり、本宮・新宮両社の御社の中には御神輿が安置されているのが見えたりして、お祭りの真っ只中にいるのだなあと、なんだかどきどき。
雨の中、太鼓フェスティバル終了後は友好提携の本宮町と吉川市の男性が神事で数名御神輿を担ぐ為に白装束の準備をはじめ、女性は宿泊先に帰りました。神事の時の山は女人禁制なので、男性がちょっとうらやましいな(いや、かなり。)様々な厳粛な取決めのある大祭の中のそれぞれの役割は、先祖代々受け継がれてきている家の方が担当されている事が多く、御神輿につく陸尺にしても「七祭(30年)奉仕しなければ、棒にふれられない」といわれてきたそうです。
27日の午前4時頃に室根神社を出発して暗闇の中、急な山道を経て数百人の陸尺(ろくしゃく。御神輿の担ぎ手)に囲まれて村に下りてきた本宮・新宮の両御神輿は、朝8時過ぎにいよいよマツリバ(神事の行われる祭場)に到着しました。何頭もの御神馬や豪華絢爛な袰先陣に囲まれてにぎわうマツリバ周辺の地面は昨晩の雨で泥にまみれ、御神輿を担いで来た人々も、泥にまみれていました。
ここでマツリバに建てられた御仮宮までの先陣争いが行われるわけですが、どちらかが先に御仮宮の下について登ることはなく、御仮宮の下に両御神輿が一線に並んでからはじめて登れます。スタートの位置が決まるまでは御仮宮の下を両御神輿が行きつ戻りつしてもみあい、観衆になだれ込みそうになりながら、あちこち移動します。私も御神輿や、JRAから借りてきたというたいへん大きな御神馬にぶつからないように気をつけながら移動。私や友人が紀州の本宮から来たというのがわかると村の人々は「本宮さん」とか「本家さん」と気軽に声をかけてくださったのが嬉しく思いました。
4年に1度のお祭りなので人出もどえらいことになっていて、何万人もの観衆の見守る中、一升瓶を片手に陸尺の人々に酒をすすめたり勢いよく御神輿にふりかけたりする人も見え、祭りの渦巻く熱気はピークを迎え、やっと御仮宮へ両御神輿が安着して今年の先着が本宮に決まった後、熊野本宮の神事をルーツにするという小学生の舞姫の奉納舞や大名行列のような袰先陣(ほろせんじん)の行列等が行われ、1280年続く古式豊かな大祭は、幕を閉じました。
岩手の旅は初めてでしたが、貴重な熊野信仰の歴史を辿れたし、村の伝統を村役場の方々も一緒になって継承されてきたその熱意に敬服しました。これでこそ1280年もの伝統・室根の大祭が継承されてきたのでしょう。村を離れる時は、感無量でした。別れ際にお祭りの装束のまま握手してくださった役場職員さん、ありがとうございました。(T-T) 帰路も本宮に帰ってからも、自分の靴についたマツリバの泥を見て、ああ、あの御祭は夢じゃなかったんだなあ、としみじみ。御祭の熱気と笛や太鼓の旋律が、いつまでも自分の中から離れませんでした。
(そま)
No.170
2003.1.21 UP
2020.5.26 更新
参考文献
- 室根大祭協賛会発行『室根神社大祭記』