薩摩藩主島津家の崇敬が厚かった熊野神社
(旧・揖宿郡山川町福元 いぶすきぐんやまがわちょうふくもと)
熊野神社由緒記(現地案内板より)
鎮座地
鹿児島県揖宿郡山川町福元
(※現:鹿児島県指宿市山川福元)御祭神
速玉之男神・伊邪那美神・事解之男神を正祀とし、他十二柱神を祀る。
例祭日
一月七日
神社の沿革
社伝には、往古紀元千七百五・六十年代、堀川帝の御代、頼仁法印が紀州熊野社より勧請守下すとあるも、その年歴はつまびらかではなく、遥か上代のことであると伝えられている。
古来、藩主島津家の崇敬厚く、文明四年、社殿再興以来、歴代藩主により修理改造が数度に亘り行われた。
慶長十四年三月八日、島津家第十八代藩主家久公琉球出兵のおり、軍船山川港に集結し、藩主自ら神前に戦勝大祈願祭を斎行され、社前の長さ十二間・巾二間の芝生の処で出兵将兵と出陣の宴をはられ、酒杯を賜った。
このあと社殿の南方、錦江湾を望む愛宕山山頂より家久公が軍船を見送られたと伝えられている。
社殿入口には、アコウ樹二本が鳥居状に繁茂し、比翼連理の樹として有名であったが、樹齢つきはて、昭和五十五年二代目アコウ樹を植樹し現在に至る。
一般の信仰
山川郷の郷社として一般の人、殊に漁業守護、航海安全の神として厚い崇敬が寄せられている。
社殿
往時は木造権現造りであったが、老朽化したため地元氏子を始め有志の方々の浄財により昭和三十三年、現在の鉄筋コンクリート造りに改修さる。
※ 当社の南方約一里の所に竹山神社あり、国指定特別天然記念物『ソテツ自生地』に指定されている。
奉納 昭和六十二年度還暦兎辰会一同(一月六日)
熊野神社(権現様) (現地案内板より)
指宿市山川福元の旧郷社、堀川天皇(~一一〇七)の御代、頼仁法印が紀州熊野社より勧請した。漁業・航海安全・安産の神。
祭神は速玉之男尊(ハヤタマノオノミコト、熊野速玉大社の祭神)、伊邪那美尊(イザナミノミコト、万物の母神)、事代主尊(コトシロヌシノミコト、龍宮の海神)、他十二柱神。例祭正月七日、町回りにメンドン(面殿)が出、四十一歳の厄年の男と、七歳の児童が付き従う。
南北朝(一三三〇年代) 時代、南朝方の頴娃(えい)氏と北朝方の島津氏が戦い、「熊野水軍」を援軍とした頴娃氏が山川港を一時確保したが、島津氏が勝利した。天正十一年(一五八三年)には、島津氏が山川港を支配下に置き、慶長十四年(一六〇九年)の琉球征伐のおりには、藩主の島津家久が社頭で戦勝祈願を行った。
山川港口に位置する竹山は、かつて熊野修験の行場であり、日・月と海の渦を彫った石燈籠や、奥社の天の字入りの旗は貴重である。
寄贈 山川竹山会
(案内板の設置に感謝致します。)
境内から周辺の様子(背後が社殿)。鳥居正面は山川漁港。
以前境内にあったアコウ樹・比翼連理の説明。
『鹿児島ふるさとの神社伝説』高向嘉昭氏著(南方新社)によりますと、竹山神社は正面の山の右手の箇所に祀られており、天狗や大烏伝説が伝えられているとのことです。
開聞岳。
山川港。右手は造船所
(瀬音さん)
No.1806
2016.7.28 UP
2020.10.9 更新