鎌倉時代初期に現在地に遷座
御祭神
伊邪那美命 与母津事解之男命 速玉之男命
十二社柱大神 造化二柱大神
お祭りの様子
境内社
愛宕社
例祭日
4月17日
社殿
三棟一宇 権現造 27・3坪 神楽殿あり
境内坪数
515・25坪
神事と芸能
古来大祭には、「流鏑馬を奉納せしも、昭和十年頃より神馬なきため中止せり」との記録あり。
御由緒沿革
「往昔邑人某、南紀熊野神社に詣で、分霊を請い、途中覆ふに其の破れる所の蓑を以てし、帰り来てに勧請せり。」と。その後健中年中(1190~1199年)「土屋三郎宗遠当村を所領せる際、其の四男宗光なるもの現在の社地に遷せり。是れ字名に、庶子分、小熊等の名称ある所以なり。」との記録がある。
新編相模風土記に「天正十九年(一五九一)家康より社嶺高五石の地を寄附せられ、御朱印を賜う。
元和四年(一六一九)九月修造の棟札あり。神木の杉、囲一丈二尺ありき。」と記載されている。明治維新の際上地した。明治6年7月30日、郷社に列せられた。
( 一 神奈川県神社誌より 一 )
(中本さん)
No.109
2001.11.25 UP
2020.7.9 更新
参考文献
- 『神奈川県神社誌』