元は光触寺の鎮守社
場所
鎌倉駅より金沢八景方面行き、十二所神社下車数分。
十数段の石段を登った小高い場所に鎮座。
境内には神楽殿もあり、静かな境内である。
石の祠と境内社が祀られていたが、祭神は不明。
御祭神
天神七柱
地神五柱
御由緒
弘安元年(1238)創建。
熊野十二所権現社と呼ばれ光触寺の境内に鎮守社として祀られていたが、天保九年(1838)この地に遷座したといわれている。
この神社の前身が熊野社であることは「新編鎌倉志」「新編相模風土記稿」の記事により、また明王院所蔵の天保九年十一月十五日付の棟札に「熊野十二所権現壱宇」とあるところから疑う余地はない。
従って現在の祭神はおそらく神仏分離の時に変わったのであろう。
「新編相模風土記稿」には、「按するに、光触寺境内に熊野十二社の社あり、是を村の鎮守とす、されば是より村名も起こりしなるべし」とある。
ともかく、時宗と熊野との関係から考えて、熊野社勧請は光触寺が創建された頃まで遡ることができるのではないかと考えられる。
(祭神および由緒は「鎌倉市史 社寺編」参照)
(TATSUさん)
No.875
2008.9.28 UP
2021.5.12 更新
参考文献
- 『鎌倉市史 社寺編』