熊野神社;神奈川県横浜市磯子区中原4-24-17:全国熊野神社参詣記

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熊野神社:神奈川県横浜市磯子区中原4丁目24-17

TATSUさんからご投稿いただきました。ありがとうございます。

修験道寺院が源頼朝の命で勧請した熊野神社

熊野神社拝殿

(横浜市磯子区中原4丁目5-17?)

京浜急行線杉田駅下車徒歩5分。
住宅地に入ると、こんもりと木が茂った小山が見られる。
鳥居の横には社務所がある。

熊野神社鳥居

その先80数段の急な階段があり、登りきった中腹に社殿が鎮座。
拝殿、泉蔵社の前には、おのおのの由緒が提示されている。
神社を訪ねた場合これはありがたい。

熊野神社石段

御祭神

伊弉冉尊、事解之命、速玉之命、日本武之尊、建御名方命

御由緒

建久三年(1192) 源頼朝が征夷大将軍になった年、鎌倉四家の道場 (山崎ノ泉蔵社・亀ヶ谷ノ権現堂・二階堂ノ愛泉坊・蔵見堂) の内、山崎泉蔵院の僧真締智覚法印に治国安民の祈祷を命じた。

頼朝の命を受けた智覚法印は、我が国第一の霊場とされて居る紀州熊野に参籠して幣帛を捧げ、三所権現の御分霊を樟の舟に乗せ祈りを込めて海に流した。

樟舟は神意のまにまに旬日の後中原の海岸に流れ着き、この事が将軍に伝わり、頼朝は御神慮の有難さを感じて、近くの地に神殿を建てるよう智覚法印に命じた。

智覚法印は東に海を望む景勝の当地を選び山上に熊野三所権現社を祀り、山裾に紀州山桐谷寺を建立すべく同年五月六日に着工し十一月十五日に完成した。

後に桐谷寺は山号を大霊山泉蔵院と改め熊野権現社の別当として当社に奉仕し、国家安泰、万民和楽の祈願を続けて来た。

明治初年の神仏分離令により社名を熊野神社と改め法印は神職となり、約七百年間続いた泉蔵院は廃寺となってしまった。

明治四十三年、神社統合令により村内の中原明神・諏訪神社の二社が合祀された。

(社前の「熊野神社縁起」より抜粋)

境内社

金比羅神社、摩利支天社、稲荷社、泉蔵社

熊野神社境内社

泉蔵社
泉蔵社

(TATSUさん)

No.462

2005.10.9 UP
2021.4.23 更新

参考文献



神奈川県横浜市磯子区中原

読み方:かながわけん よこはまし いそごく なかはら

郵便番号:〒235-0036

横浜市HP

横浜市 - Wikipedia
横浜市(よこはまし)は、関東地方の南部、神奈川県の東部に位置する市で、神奈川県の県庁所在地である。政令指定都市と業務核都市に指定されている。
人口は、東京特別区(東京23区)に次いで日本第二位であり、日本の市町村では最大である。又、面積も、神奈川県内の自治体では最大である。