源頼朝の勧請と伝える熊野神社
平成十六年一月四日、山の根の熊野神社に参拝して来た。
JR逗子駅から徒歩十分ほど北東へ歩くと、山の根地区の住宅街の奥に熊野神社が見えてくる。このあたりはまだ丘陵地の里山が残っていて、熊野神社の社叢林のように木々を茂らせている。
一の鳥居を潜るとまず参拝者を迎えてくれるのが、参道にそびえるタブの大木である。その下の二の鳥居を潜り石段を上がると境内へいたる。樹木に覆われた境内はとても静かである。
境内案内板などによれば、山の根の熊野神社は明治二年(1869)に社殿炎上のため古記録は無いが、源頼朝の勧請と伝える。祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊の二柱。明治二年の社殿失焼の後、山の根村に唯一あった寺院松本寺の本堂を移築、熊野神社の本殿とした。このため松本寺は廃寺となっている。松本寺は『新編相模国風土記稿』によると古義真言宗にて隣村逗子村の延命寺の末寺であったとある。
山の根村は明治十二年の時点で氏子十九戸とあるが、村内には熊野神社の他に、白山、稲荷、十二天、神明、吾妻、諏訪、第六天の七社があったという。明治十年にこれらの神社は合祀されたが、こうしてみると二軒で一社の割合で神様を祀っていたことになる。このうち白山社は虫歯よけの信仰が盛んで昭和二十年代まで祠が残っていたという。
松本寺本堂の転用だった社殿は昭和十二年に再建、松本寺の遺物は境内の手水盤のみとなった。
熊野神社の社殿の裏の斜面には横穴古墳が保存されている。現在は二個並んでぽっかりと口を開けた古墳が見学できるが、周りの様子からするとまだあるようだ。中には段のようなものも見えている。
境内から古墳へ上がる所に山ノ神の社がある。この社の賽銭箱にお金を入れると古墳の保護活動の財源になるのだそうだ。そのほか現在の境内には御神木としてナギの木の苗木が植えられていた。
参拝中、ずっと境内で子供とおじいさんが遊んでいて、のどかな雰囲気の神社であった。
『新編相模風土記稿』によれば隣村逗子村の亀岡八幡宮の境内社に熊野社があったとあるが、現存していないようである。亀岡八幡宮は鎌倉の鶴岡八幡宮の対となる神社として創建されたと伝え、鎌倉時代の阿弥陀三尊懸仏を御神体としていた。鏡面が扇形になっている珍しい作で現在は延命寺に納められている。
(日照院さん)
No.207
2004.3.1UP
2020.7.4 更新
参考文献
- 『新編相模風土記稿』