平重盛の家臣による勧請と伝わる熊野神社
旧安芸郡馬路村大字八川
摂社等もありますが、夕方で寒くなったので、早々に引き返しました (^-^)
この神社には、全部で5対の狛犬があります。
一の鳥居のそばの2対は阿が右、吽が左ですが、境内の3対は、阿と吽の配置が逆になっています。
写真の阿形は拝殿の前のものですが、これが左側に置かれていました。
御由緒
由緒書きより
熊野神社
熊野神社は文治二年(1186)年、平重盛公の家臣大野源太左衛門尉盛高が、弟の五左衛門、船頭の屋島左衛門と共に、紀州熊野十二社権現(今の新宮市熊野速玉大社)を勧請したものである。
そして重盛公の霊を加えて十三躰妙見大権現と称した。ご神体は約二千年前の銅鐸で、突線鈕式六区画袈裟襷文銅鐸(とつせんちゅうしきろっくかくけさだすきもんどうたく)と言われる。
ご神宝の和鏡は、十八面あり、ある時代には境内にある十八神の御霊(みたま)であった。
なお神酒造り、安田町三津石の海岸での潮浴び、餅搗きの古式なども伝えられている。
また、神社で執行されてきた「地鎮め・火鎮め」「天の神の神楽」などは県下に例のない特筆されるべきものである。
馬路村教育委員会
馬路村文化財調査委員会
(マサやんさん)
No.675
2007.2.28 UP
2021.9.4 更新