東高野街道沿いにある熊野神社
神奈備さん
(旧・大阪府八尾市黒谷1142)
神社明細書には、慶長年間(1596~1614年)熊野権現を勧請したと書かれている。
当初は東側の山頂付近に鎮座、二度の遷座を経て現在地に鎮座。
昭和十五年、神殿、拝殿、玉垣を建設、神社の様式を整えたと言う。
赤い鳥居の小祠は現在地へ遷座前の権現社跡の祠。瓦屋根は現在の社殿。
信貴山沿いを南へ行く道の下側に鎮座、見下ろしたまま通り過ぎるのはいかがと思い立ち寄ったら、熊野権現社でした。
境内南東隅に力石の刻まれた石碑とその横にいくつかの楕円形と言える丸石が置かれていました。
南紀に多いという「丸石」を連想しました。
2002.1.14
ZOUさん
上の画像は権現社の内陣です。
これは、権現社境内の力石。
さて、こんなものもありました。
権現社から徒歩約5分のところに「垣内村一里塚:かいちむらいちりづか」です。
この塚は生駒山地の西山麓を通る「東高野街道」に沿って建てられていたもので、この道は熊野権現参詣の陸路でもあったそうです。
「東高野街道」は、たぶんこのあたりから大阪南部に向かう国道170号線のことかもしれません。
権現社も八尾市楽音寺の熊野神社もこの道からそれほど離れておらず、国道170号線を南に向かった大阪府富田林市宮町の「美具久留御魂神社」の境内末社にも熊野神社があったので、「東高野街道」沿いには他にもまだ熊野神社があるのかもしれませんね。
2002.11
(神奈備さん&ZOUさん)
No.121
2002.1.14 UP
2002.11.9 更新
2020.6.11 更新