旧鳩ケ谷市南5丁目31-1
JR西川口駅より南鳩ヶ谷駅方面、国際興業バス南市営住宅下車すぐ。
本殿は、元禄十三年(1700)の造、一間社流造。
昔は法林寺が鎮守であり、境内に隣接していた。
御祭神
天神七代地神五代の合わせて十二柱
御由緒
不詳
御祭神は上記のようになっているが、「十二所神社」の「十二所」とは、十二柱の神々の意で熊野三山を勧請し奉斉することに起源を有する社である。
宝林寺の本寺は、慈林寺(川口市安行慈林)の宝厳院であった。
「風土記稿(※新編武蔵風土記稿)」慈林寺の項を見ると、宝厳院が別当を務めた隣接の薬師堂の境内に十二神社を祀っていたことがわかる。
当社は恐らく宝林寺の法印が本寺の宝蔵院を介してこの十二神社の分霊を祀ったことに始まるのであろう。
この社名から熊野修験の活動が勧請の背景にあったことが推測される。
(祭神、由緒は、埼玉県神社庁編「埼玉の神社」参照)
「新編武蔵風土記稿」前田村の項には
宝林寺 新義真言宗 慈林寺宝蔵院の末なり 神元山と号す、本尊薬師を安ず。
十二所権現 村の鎮守なり、元は飲樋爪村の氷川を鎮守とせりと云
また
慈林村 薬師堂 氷川社 村の鎮守なり 十二神社
と記述されている。
(TATSUさん)
No.1166
2009.12.22 UP
2023.10.9 更新
参考文献
- 埼玉県神社庁編『埼玉の神社』
- 『新編武蔵風土記稿』