中世に熊野権現を本社とし、奈良神社を合祀
JR熊谷駅より大田、妻沼方面行きバス乗車、中奈良バス停下車徒歩約10分。
幡羅郡式内社四座のひとつ。
奈良神社は利根川と荒川のほぼ中間の熊谷市中奈良にあり、広大な平地のなかにある。
バス道より少し入った所に一の鳥居があり、そこから長い参道が続く。
朱色の三の鳥居をくぐると森の中に境内がある。隣は、別当寺であった長慶寺。
長慶寺
本殿は朱色に塗られ、彫刻も細密である。
御祭神
奈良別命(ならわけのみこと)
御由緒
社伝によると、仁徳天皇の頃、下野の国造であった奈良別命が治平終了の後、当地へ分け入り、開拓。土民らが、その恩に感じ徳を慕って、奈良神社を創立したという。
慶雲二年(705)の蝦夷征討の際に奈良神が神威を発揚し式内社に列格。
熊野信仰の拡大にともなって、この地にも奈良神社と熊野権現の2社が鎮座しており、中世にいたって郷民の崇拝が熊野権現に集まったため熊野権現を本社とし奈良神社を合祀したという。
しかし関東管領両上杉氏の兵火によって社運は傾き、当社を保護していた忍城主成田氏も小田原氏滅亡後に移転し、近世期は長慶寺の支配下とならざるをえなかった。
江戸後期に奈良神社の名が徐々に復調し、明治の神仏分離によって独立。
明治四十二年に近隣の伊奈利神社など村内の9社を合祀した際に「奈良神社」と改称した。
「新編武蔵風土記稿」中奈良村の項には以下のような記述があります。
熊野社 奈良四村の惣鎮守なり、本地弥陀、薬師、観音を安ず。
古は修験円蔵坊の持なりしが 中略 今は長慶寺の持となる。
中略 末社 稲荷二宇、天神、金山以上熊野の末社なるべし。社内に奈良神社を合せ祀る、奈良神社は神名帳當郡四坐の一なり。
境内社
拝殿の左側には境内社の祠があり、国魂神社、八坂神社、怡母神社、金山社、天神社、伊奈利神社が祀られている。
(TATSUさん)
No.1154
2009.12.10 UP
2024.2.8 更新
参考文献
- 『新編武蔵風土記稿』