明治末に熊野神社を合祀、戦国時代に紀伊国からの移住者が勧請
(旧北葛飾郡栗橋町松永345)
松永神社
JR栗橋駅より徒歩15分程、栗橋高校に近く、住宅地の中に鎮座している。
松永神社の拝殿の左右に、日枝神社、天神社・秋葉社の祠がある。
そして日枝神社の祠の手前に石碑が四基建つ。
左より、稲荷社、天神社、熊野大権現、地神尊である。
松永神社鳥居
松永神社拝殿
熊野神社
熊野神社御祭神
不詳
熊野神社御由緒
この地は、はじめ草加、村上、倉橋の三氏が開拓を行い、永正二年(1505)に紀伊の国より、鈴木三郎慶長がやってきて村を開いた。三氏を祀ったのが、境内にある「地神尊」である。
その後、鈴木三郎が、「地神尊」の傍らに氏神として熊野神社を祀り、また村内に、星宮神社、香取神社、天神神社をも創建した。これはいづれも、真言宗の宝蔵院持ちであり、熊野神社が鎮守であった。
松永神社は、この中の星宮神社が母体となっており、幕末に香取神社が合祀され、星宮神社香取神社合殿とよばれた。
明治四十三年、熊野神社・天神社・稲荷神社を境内に合祀し、大正三年に社号を松永神社と改めた。
(由緒は、埼玉県神社庁編「埼玉の神社」参照)
「新編武蔵風土記稿」松長村の項には
熊野社 名主七朗右衛門が先祖、慶長本国紀州より移して勧請する所なり、宝蔵院持
と記述されている
(TATSUさん)
No.1226
2010.3.20 UP
2024.2.8 更新
参考文献
- 埼玉県神社庁編『埼玉の神社』
- 『新編武蔵風土記稿』