かつては国一熊野大権現と呼ばれた、藤原秀衡による勧請と伝わる村の鎮守
東武越生線西大家駅よりすぐ。
境内には、国渭地祇神社(くにいちぎじんじゃ)の拝殿のほかには、八幡神社、社地の奥には小山が作られ頂上には、「石尊大権現」の石祠がある。
御祭神
不詳
御由緒
もとは国一熊野大権現と称していた。
創立には越生の本山派修験山本坊と結びついていた
別当三宮山大徳院が関係していたものとされている。
森戸村は高麗川の南岸に位置しており、国渭地祇神社は、この村の鎮守として鎮座しており、社前の往来は旧鎌倉街道であると伝えられている。
延喜式内社国渭地祇神社の伝承地ともなっている。
当社の社地から鎌倉期とも思われる古瓦が出土していることや、樹相などが古いということを考えると、古社であることは間違いない。
(埼玉県神社庁編「埼玉の神社」より参照)
「新編武蔵風土記稿」の森戸村の項には
熊野社 當村の鎮守なり、慶安二年社領十石の御朱印を賜へり、鎮守府将軍 秀衡の勧請なりと伝へるのみにして、證すべき記録もなければ信ずるに足らず
と記述されている。
森戸村には他に
熊野社 村民庄兵衛の持
と記述された神社が存在したが不明である。
(TATSUさん)
No.1131
2009.11.17 UP
2025.5.9 更新
参考文献
- 埼玉県神社庁編『埼玉の神社』
- 『新編武蔵風土記稿』