出雲国一宮
鑽火殿
舞殿
熊野大社の祭り
毎年10月15日に行われる「鑚火(さんか)祭」では、出雲国造の子孫である出雲大社宮司が古式に則り熊野大社に出向き神聖な火をおこす「ヒキリウス」と「ヒキリキネ」を拝受する「火継ぎ」の儀式が行われる。祭は「亀太夫神事」(かめだゆうしんじ)から始まり、この儀式は、出雲大社から熊野大神に供えられる長さ1メートルの細長い伸べ餅のできばえについて亀太夫といわれる神職が色や大きさなどをやかましく言い、ようやく承知して餅を熊野大神にお供えすると、新しい「ヒキリウス」「ヒキリキネ」が授けられ、
「すめかみを よきひにまつりしあすよりは あけのころもをけころもにせむ 」
という神楽歌と琴板の楽に合わせ百番の舞いが奉納される。
儀式の起源は、熊野大神が熊野山の神木で「ヒキリウス」と「ヒキリキネ」を作り、出雲国造の遠い祖先の天穂日命(あめほひのみこと)に授けたという故事に基づいたもので、この祭りの後出雲大社では毎年11月23日「古伝新嘗祭」が行われ、熊野大社から授けられた「ヒキリウス」と「ヒキリキネ」によってきり出された神聖な火で、すべての食事が作られることになっている。
そして熊野大社は神火発祥地として「日本火之出初之社」ともいわれている。
境内荒神社
境内稲荷神社 倉稲魂神
出雲と紀伊の熊野には様々な共通項があり、例えば紀伊の串本には「出雲」という地名も存在するし、古事記では「黄泉比良坂(よもつひらさか)」は「出雲の国の伊賦夜坂」(島根県八束郡東出雲町揖屋)とされるが、紀伊熊野では三重県熊野市有馬町の花の窟神社がイザナミの墓所とされ、神社内の花の窟という山のような巨岩が、黄泉比良坂をふさいだ石だといわれている。
さかのぼると紀伊熊野の原住民には名草戸畔、丹敷戸畔(にしきとべ)などがおり、この「戸畔」というのは女酋で出雲の諸神の姻威だといわれ、紀南では那智の熊野三所大神社の摂社「石宝殿」に地主神として「丹敷戸畔命」が祀られている。出雲・ 紀伊熊野間に移民があったのかどうかは不祥だが、何らかのつながりを感じさせる。
元宮遥拝所
天狗山
熊野大社元宮のあった天狗山。八雲村熊野地区と広瀬町との境にあり、八束郡で1番高い山。
むかしは熊野山あるいは熊成峰と呼ばれていた。現在も頂上に熊野大神を祭った磐座一対があり、元宮成(げんぐうなり)という祭を行った跡地や柱の基石と思われる大石が笹に埋もれているという。
天狗山の名は、ある夜、怪物の大足を大鉈で切り落した炭焼きが、夜明けとともに大足を背負い市場まで帰ったところへ行者が立ちより、これはまさしく天狗の足、昨夜切られた自分の足だといい、足を持ち帰り消えてしまったという伝説に由来する。
全画像1999年11月22(月)撮影
(玄松子さん、そま)
No.23
2001.1 UP
2020.11.20 更新
参考文献
- 學生社刊「熊野大社」(那智大社宮司 篠原四郎著・昭和44年発行)
- 戎光祥出版社刊「熊野三山信仰辞典」(加藤隆久編)
- 八雲村ホームページ