四方浄土の地に勧請された熊野神社、江戸時代初期の勧請
(旧引佐郡引佐町四方浄200)
四方浄の熊野社は、西黒田から二キロほど北上した位置にあり、第二東名高速道路の工事も近くで行われており、殺風景な中にわずかに残る緑の拠点でした。
常夜灯と鳥居前からみた拝殿です。
お賽銭箱に書かれた「四方浄熊野三神社」の名称です。
御祭神
家津御子命 速玉男之命 熊野夫須姜命
御由緒
境内の由緒説明によると、棟札では元和十申子9月28日創立とされる。
(河合さん)
No.1150
(てつによる追記)
四方浄という地名は、奈良時代の高僧・行基がこの地を四方浄土の地にしようと東西南北に仏像を配置したという伝承に由来します。
東(福満寺:引佐町川名)には薬師如来、西(長福寺:引佐町的場)には阿弥陀如来、南(竹馬寺:引佐町伊平)には観世音菩薩、北(本龍寺:引佐町別所)には釈迦如来。
熊野三山の本地仏は新宮が薬師如来、本宮が阿弥陀如来、那智が千手観音ですので、熊野神社は四方浄の地に建立するのにふさわしい神社であったと思われます。
2009.12.6 UP
2021.5.30 更新