遠州の熊野三山の「本宮」にあたる神社
御祭神
伊邪那美命・速玉男命・事解男命
御由緒
藤原鎌足の孫(藤原不比等の娘)宮子は、文武天皇の后になられ、「安産にて皇子誕生せば、東に3つのお社を建てる」と神前に誓われたそうです。
その望みがかない、首皇子(後の聖武天皇)を御安産され、「確実に貢物を納め、治安もいい遠江国に建てよう」と決め、公家の奥野左衛門惟吉卿を遣わし、宮地を見分せしめられたそうです。
惟吉は、本宮(三熊野神社)・新宮(高松神社)・那智(小笠神社)の宮地を定め、社殿が建てられた後は、3社の宮司に任命されました。
熊野の神々は、若一王子・千勝・布留楠・若宮・今駒の5柱の神々に伴われて、大宝元年(701)8月4日、雨垂の浜に着かれ、翌日、仮殿に入られ、社殿が建てられると、そちらに遷られたそうです。
熊野三山の成立は平安時代でしょうし、首皇子の誕生は701年12月27日ですので、由緒は正しくないと思われますが、今でもこの由緒が堂々と社前に掲げられていることを考えると、(1)奥野氏がこの地に熊野三山を祀った、あるいは、(2)すでに存在していた3社に熊野神を勧請して熊野三山とした、つまり、奥野氏が遠州の熊野三山の創建・勧請にかかわっていたことは確かではないでしょうか。
本宮・三熊野神社
三熊野神社は、文武天皇の皇后がご懐妊のとき、皇子誕生を願い、それが叶ったために創建された神社であることから、「子授け・安産・縁結びの神」として広く信仰されています。特に子授けでは有名で、例祭には全国から子供のないご夫婦が集まってこられるそうです。
建造物としては、県指定文化財の立川昌敬が建立した本殿(立川流:諏訪を中心に甲州・信州・駿河等で活躍した彫刻を得意とする大工集団)や、延宝7年(1679)に奉納された狛犬(写真右)が有名です。
また、三社祭礼囃子は江戸時代に行われていたままの状態であることからその価値は高く、江戸開府400年「江戸天下祭」でも披露されました。
遠州の熊野三山
・本宮…三熊野神社 静岡県掛川市西大渕5631-1 伊邪那美命・速玉男命・事解男命
・新宮…高松神社 静岡県御前崎市門屋2068 伊弉冊尊・速玉男命・事解男命
・那智…小笠神社 静岡県掛川市入山瀬852 事解男尊・伊弉册尊・速玉男尊
・五伴神
若一王子…王子神社 静岡県掛川市山崎1328 若一王子
千勝…十二社神社 静岡県掛川市大渕10518 少彦名命
布留楠…古楠神社 静岡県掛川市西大渕174 古楠天王
若宮…若宮神社 静岡県掛川市大渕6769 大雀命
今駒…熊野神社 静岡県掛川市大渕14290 素佐之男命
・初代宮司…奥野神社 三熊野神社境内 奥野左衛門惟吉(是吉)
(PONTAさん)
No.391
2005.4.3 UP
2020.9.1 更新