場所
東京都八王子市兵衛2-16?
JR横浜線八王子みなみ野駅下車徒歩15分。
駅周辺は新たに宅地造成が進んでいます。駅より兵衛川に沿って南に下り、住宅地から少し入ったところに鎮座しています。
住宅造成前は丘陵地だったと思われます。明治初期八王子周辺で生産されていた生糸を横浜まで運んでいたいわゆる「絹の道」もこのあたりを通っていました。
境内はきれいに清掃され氏子も健在だということがわかりました。
御祭神
不明
御由緒
この神社に関する記録はあまり多く残されてはいませんが、「新編武蔵風土記稿」によれば当地は「第六天社」として紹介されています。
境内には寛延四年(1751)に建てられた角石塔や明和二年(1765)に造られた狛犬の像があります。
これらにはいずれも「奉納第六天」の文字が刻まれており、この頃すでに「第六天社」があったことがうかがわれます。
神社の古文書が収納されている箱の表書きには、「大六天」「赤山大権現」とならび「熊野大権現」「津島牛頭天王宮」との記載があります。
現在の社殿に掲げられた「熊野宮」という扁額の裏には文政八年(1825)と記されています。
これらから当社は、江戸時代中期頃から「第六天社」と「赤山大明神」を祭祀し創建された後、江戸時代末文政年間に「熊野宮」と「牛頭天王宮」を合祀し、以後「熊野神社」と総称しているものと思われます。
拝殿は古文書によれば、安政三年(1856)から文久元年(1861)にかけて改修、遷宮がおこなわれたことが推察されます。
(境内の宇津貫「熊野神社」の由来より)
その他
これが狛犬でしょうか。(ちょっと気味が悪い)
手水舎に万延元年(1860)の銘がありました。
(TATSUさん)
No.315
2004.12.26 UP
2020.5.16 更新