河口氏という武士が勧請した熊野神社
場所
西東京バス森下バス停下車。
西八王子病院方面へ、北に道路を進む。10分ほど進むと道路際に鳥居がみられる。
左手の山に向かって石段があり、奥に二ノ鳥居がある。
鳥居には比較的新しい「熊野神社」の扁額が架かっている。
石段を登りきると山の上、平地になっていて、そこには小さなコンクリートの祠と、休憩舎らしいものしかない。
ただ、石塔がありよく見ると、「納 熊野神社」とかろうじて読み取れた。
すこしがっかりする。まわりを探索したが、ほかに社殿等はなかった。火事にでも遭ったのだろうか、遷座したのだろうか。
この熊野神社は、昭文社の古い地図に載っていたものを訪ねたものだ。
由来
あとでインターネットで調べたら、近くに円福寺という寺院があり、今は小寺であるが、かつては大寺であったという。
背後の山の頂に河口氏という武士が勧請したという熊野神社があるとされている。このお寺の鎮守であったのだろう。
(熊野山沢泉院円福寺新義真言宗 承久4年(1222)起立開基については、新編武蔵風土記稿が鎌倉三代将軍源実朝と伝え、実朝菩提の寺としている。 )
(川口の自然を守る会のHPを参照させていただきました。
「川口の自然を守る会」にお問い合わせした結果
上記「川口の自然を守る会」の五味 元さんにお問い合わせした結果です。原文のままコピーしました。五味さんありがとうございました。
熊野神社をお探しなのでしょうか。私のHPに載っている熊野神社と言えば「河口氏の大般若経」に一箇所出てくるだけだと思うのですが・・・、それならTATSUさんが行かれた神社がその熊野神社です。この神社はかつて河口氏が勧請し、実朝ゆかりの神社として繁栄し、大社であったと伝えられていますが、河口氏と共に衰退したようです。その後、明治20年頃に上川町のいくつかの神社とともに合祀され、別の場所に移されています。今あるのは、その名残です。移された神社は森下というバス停の少し先の左側(川口川の南の対岸)にあります。聖学山三光院というお寺の石柱があります。そこを入って橋を渡ったところにある神社がそうです。八幡八雲神社と合祀されています。山岡鉄太郎(鉄舟)筆の「熊野神社」という扁額が掲げられています。
鉄舟が訪れた幕末には山の上でTATSUさんが見た熊野神社は鳥居にふさわしい神社の面影を残していたようです。
(TATSUさん)
No.375
2005.3.4 UP
2020.5.16 更新