明治初期に熊野神社を合祀
場所
都電荒川線、日暮里・舎人ライナーに「熊野前」という駅がある。
熊野神社と関係あるかも知れないと思い訪問してみた。
結果として、熊野神社は現存しなかった。
尾久八幡神社に合祀されたため、現在は跡地に表示板があるのみ。
現在は駐車場。(東尾久8-14)
尾久八幡神社は、都電の一つ西の駅である「宮ノ前」に鎮座している。
しかし尾久八幡神社には現在、熊野神社の痕跡は見つからない。
「熊野前」停留所の近くには「はっぴいもーる熊野前」がある。
その昔、TV番組「天才たけしの元気がでるテレビ」で、この商店街が取り上げられ、全国的に有名になった時もあったが、今はどこにでもある商店街である。(閑散としている)
御祭神
伊邪那美命
御由緒
不詳
熊野神社は元享年間(1321-1323)に豊島景村が紀州熊野から勧請したと伝えられている。
明治11年に尾久八幡神社に合祀された。
(旧鎮座地の表示板参照)
◎ 「新編武蔵風土記稿」の上尾久村の項には
八幡社 上下尾久舟方三村の鎮守なり、神体木像神秘なりと云願勝寺の持、
稲荷社 華蔵院の持 下 同じ熊野社 第六天社
と記述されている。
◎ 明治12年編の「神社明細帳」には
社名 熊野社
鎮座地 武蔵国都島郡上尾久村字馬場
祭神 伊邪那美命
境内面積 百六拾五坪
◎ 明治13年編の「上野東照宮組合明細」には
社名 熊野神社(八幡神社摂社)
鎮座地 武蔵国都島郡上尾久村字田島
祭神 伊邪那美命
境内面積 五畝拾五歩
社殿 一坪一合七勺
と記載されており、この時期に八幡神社の摂社となり、その後合祀されたと思われる。
古老の話では、合祀された後も社殿は存続し、数回遷座したが戦災で消失し、その後再建されなかったという。
(TATSUさん)
No.1279
2010.6.12 UP
2020.5.19 更新
参考文献
- 『新編武蔵風土記稿』