水口・長井の産土である山神社に合祀
場所
旧西多摩郡大久野村水口
JR五日市線武蔵五日市駅より福生駅行き西東京バス乗車、萱窪バス停下車徒歩40分ほど。
左に大久野病院への道を見ながら右の林道を登っていく。
標識に従い左に曲がり住居の間を抜けた石段の先に木の鳥居が立つ。
さらに、石段と坂道の混じる急な参道を登りつめると境内である。
山神社拝殿
山神社本殿
平成22年4月1日発行のWEB「ひのでトピックス(pdf)」によれば、
山神社(さんじんじゃ)の本殿は、「山祇社本殿」として町の有形文化財に指定されている。
神社は水口・長井の産土として崇敬されており、創建は弘仁十四年までさかのぼり、本殿は元禄十三年の再建とされ、相殿に白山権現を合祀した二間社の流造りである。
その記事の一部に拝殿西側に末社の神明社と熊野社が祀られているとあるので確認してみると、確かに祠が一社、その右に「天王山(?)」と刻まれた石碑、さらに拝殿の脇に痛んだ本殿が一社存在している。
ところが祠には、「八坂神社」修復の旨記された板切れが打ち付けられていたので、どうも八坂神社らしい。
残る本殿に神明、熊野のどちらか祀られているか、
もしくは両方かは判明しなかった。
熊野神社の御祭神
伊弉諾尊
伊弉冉尊
速玉男命
(『皇国地誌』『西多摩郡村誌』『大久野村誌』参照)
御由緒
不詳
「新編武蔵(国)風土記稿」の大久野村の項には、
山祇社 除地、二段八畝九歩、水ノ口の山上にあり、このへん及長井の鎮守なり、後略
神明社 除地、四段廿九歩、水ノ口の内林山の頂にあり、小社なり
熊野権現社 除地、二段廿五歩、これも小祠にして上屋あり、神體鏡面にして鑄出なるものなり、鎮座の来歴詳ならず、千人組の同心、小山佐五右衛門が持なり
と各々記述されており明治期に山神社に合祀されたと思われる。
(TATSUさん)
No.1513
2011.10.28 UP
2021.7.25 更新
参考文献
- 『皇国地誌』
- 『西多摩郡村誌』
- 『大久野村誌』