新田義貞と鎌倉幕府との兵火で焼失したと伝わる熊野神社
柑橘母さん
主祭神名
伊弉諾大神・伊弉冊大神
御由緒
(案内板より)
和歌山県熊野の大神を勧請鎮祭したもので、その起源ははっきりしないが、元弘建武の頃(1331)、新田義貞鎌倉勢と戦のとき、兵火に消失したという。
応永年間(1394)社殿再建。文明十八年(1486)五月聖護院道興准后御東行の碑。「朽ちはてぬ名のみ残れぬ恋ヶ窪今はた訪うも知記りならずや」の御歌奉額あり。天正十八年(1590)社殿奉額共に兵火に消失したという。
慶長二年(1597)九月社殿を再建し、再勧請す。寛文十年(1670)八月社殿を改築。宝暦十三年(1763)十二月本殿を造営。
明治六年(1873)村社に列せらる。明治四十年(1907)五月、神饌幣帛料を供進すべき神社に指定される。
(北多摩神道青年会)
本殿脇には、左から八雲神社、八幡神社、古峰神社が祭られていました。
JR中央線の西国分寺駅北口から徒歩5分ほどのところにある熊野神社です。
東京郊外では宅地造成が進み緑が減少していますが、武蔵野の面影残る境内には、気持ちの安らぐ貴重な空間が残っていました。
(柑橘母さん)
2004.7.17 UP
TATSUさん
JR西国分寺駅より徒歩約10分。
『新編武蔵風土記稿」には
「恋ヶ窪村、熊野権現社、除地一反三畝一歩、石階十五級、村内東福寺持」
と記されている。
この東福寺は、西国分寺駅からの道の途中に現存している。
境内の石灯籠には、「熊野宮」と刻まれ、文政年間奉納の銘がありました。
御祭神
伊弉諾大神、伊弉冊大神
東福寺
(TATSUさん)
2007.6.27 UP
(柑橘母さん&TATSUさん)
No.231
2004.7.17 UP
2007.6.27 更新
2023.10.2 更新
参考文献
- 『新編武蔵風土記稿』