明治末期に伊豆美神社境内の神明社に合祀
「北多摩郡神社明細帳」(明治十二年編)には北多摩郡和泉村字玉泉寺前に石小祠の熊野神社が存在し、明治四十一年八月に伊豆美神社構内の神明社に合祀されたとの記録がある。
当時伊豆美神社には末社として、八雲(神明)、稲荷、山際、厳島、疱瘡神社の五社が存在していた。
現在伊豆美神社は、多摩川の近く、和泉小学校に隣接し鎮座している。
伊豆美神社拝殿
一の鳥居、二の鳥居をくぐった先、拝殿の手前に左右に境内社が祀られている。
神明宮
左側には、「福徳稲荷神社」「諏訪神社」の合殿、右側には「神明宮」が祀られている。
「神明宮」の祭神は天照皇大神、豊受皇大神、素盞嗚尊、熊野大権現、柳久保稲荷大明神、水速能売大神、菅原道真公霊位である。
また、「福徳稲荷神社」「諏訪神社」の祭神は福徳稲荷大明神、諏訪大明神、建御名方主大神、白幡菅原朝臣、源頼朝公霊位である。
明治期に各地に存在した小社が合祀され現在に到ったようだ。
玉泉寺山門
玉泉寺は現在、小田急線和泉多摩川駅の南に現存しており、山門前には「天台宗 熊野山 玉泉寺」の石柱が立てられている。
御祭神
伊邪那岐大神
伊邪那美大神
(祭神は「北多摩郡神社明細帳」参照)
御由緒
不詳
「新編武蔵風土記稿」の和泉村の項には
六所明神 除地六十坪、村の鎮守なり、祭神は国常立尊と云、
わつかなる社北向き 上屋三間に二間半、本地十一面観音木の坐像四寸、春日の作なり、
鎮守の年月は伝えざれど、古き棟札あり 後略
末社として、「稲荷神明天満宮合祠」と「神明天王水神合社」、「白幡明神社」、「稲荷社」の記述がある。また
玉泉寺 東方猪ノ方村境にあり、熊野山観音院と号す、天台宗東叡山の末、起立は永正元年にて、後略
と記述されている。さらに
塚三ヶ所 石谷某屋敷跡より南方泉龍寺大門脇につづき鼎足の如くに並べり、其間十五間もしくは二十間に及べり、三ヶ所共に塚上には古松村立り、一は熊野、一は稲荷、一は諏訪の祠を建り、いづれも玉泉寺の持、後略
との記述があり、「新編武蔵国風土記稿」の編纂時に塚上にあった熊野神社が、玉泉寺周囲に移り、その後伊豆美神社の末社に合祀されたとも考えられる。
しかし「狛江市史」によると、熊野、諏訪、稲荷の三社は、現在の小田急線和泉多摩川駅の北東(狛江市東和泉)の古墳上に存在したとされ、泉龍寺とは距離があり、泉龍寺大門脇という位置には疑問がある。
熊野、諏訪神社は明治期にそのまま伊豆美神社に合祀されたとするのが自然と思われる。
稲荷神社は一時熊野神社跡地に遷宮しその後旧地に遷宮し、現在は十幹森稲荷神社として現存していることがわかった。
(TATSUさん)
No.1737
2013.6.10 UP
2023.10.2 更新
参考文献
- 『北多摩郡神社明細帳』
- 『新編武蔵風土記稿』