明治時代に熊野社を合祀
JR蒲田駅よ六郷土手行き東急バス高畑神社バス停下車5分。
高畑神社の創建は不明であるが、拝殿右、境内社の稲荷神社の隣にある石柱に寛政十年の銘があり、江戸時代の創建と考えられる。
石柱は関東大震災で倒壊た鳥居の石材を利用して昭和三十七年作成された旨が刻まれている。
またその石柱には、「神明社」、「天王社」、「辧天社」、「水神社」、「熊野社」、「天満宮」の名前が刻まれている。
御祭神
日本武尊(高畑神社)
熊野神社(不明)
御由緒
不詳
「新編武蔵風土記稿」の高畑村の項によれば、高畑村には、神明社、稲荷社、天王社、御嶽社、第六天社、辧天社、水神社、天満宮、熊野社、稲荷社が存在した。
明治期の神社合祀で、上記の神社のうちの御嶽社に、神明社、天王社、辧天社、水神社、熊野社、天満宮が合祀されたようだ。
熊野社は、高畑神社のすぐ近くに現存している熊野神社(大田区西六郷4丁目10-14)と思われる。
合祀されたにもかかわらず取り壊されずに残ったようだ。
「新編武蔵風土記稿」に熊野社は、
見捨地一畝二十歩、堀の内耕地のうちにあり、百姓の持
と記述されている。
(祭神、由緒共に「大田区の文化財」「大田区史」参照)
(TATSUさん)
No.1377
2010.12.1 UP
2022.7.19 更新
参考文献
- 『大田区の文化財』
- 『大田区史』