もと若宮八幡社、明治末期に熊野神社を合祀
東急池上線池上駅より徒歩10分ほど。
呑川を渡り、急な妙見坂を上り詰めると妙見堂があり、その裏に芳心院墓所がある。
そこには万寿院万両塚と呼ばれ、芳心院(徳川家康と側室お万の方の孫で、鳥取池田家初代藩主の正室)が葬られている。
妙見坂
万寿院万両塚
熊野神社跡地(推定)
その隣あたりに、以前熊野神社が鎮座していたらしいが、現在は住宅が建てられており神社の跡形もない。
少し下ると、大森四中の隣に堤方神社が鎮座している。
幣殿・拝殿は天保11年(1840)の建設であり、江戸末期の神社特有の装飾で飾られている。
近くにめぐみ教会の尖塔が見え、そこからめぐみ坂を下れば呑川に戻る。
堤方神社拝殿
御祭神
不詳
御由緒
「新編武蔵風土記稿」堤方村の項には
熊野社 除地六畝二十歩、村の北方本門寺境内に続きてあり、此地の鎮守なり、社九尺四面南向、前に鳥居を建つ、柱間一間、毎年正月二十八日をもて祭禮をなせり、村民の持 後略
と記述されている。
堤方神社は、もとは若宮八幡社と呼ばれていたが、明治42年、村内の三所神社(熊野神社)、十二神社と稲荷神社、更に境内にあった稲荷神社を合祀して、明治43年(1910)に堤方神社と改称した。
若宮八幡社 年貢地、村の南にあり、本社 九尺四方、拝殿 二間に三間、巽に向ふ、前に木の鳥居をたつ、両柱の間七尺、増上寺領内の鎮守にて村内妙雲寺の持
熊野神社の跡地に関しては、「大田区 旧村地名の由来」を参照しました。
(TATSUさん)
No.1195
2010.1.27 UP
2022.7.23 更新
参考文献
- 『新編武蔵風土記稿』
- 『大田区 旧村地名の由来』