明治時代に熊野神社を合祀
JR青梅線東青梅駅下車徒歩20分ほど。
多摩川を下奥多摩橋を渡り、吉野街道との十字路より民家の間に白い鳥居が望まれる。
鹿島神社と、合殿に玉川神社と引田神社が祀られている。
境内には、拝殿に向かって右に八雲神社の祠、左に蚕祖神社の祠がある。
八雲神社の前には、「新編武蔵風土記稿」にも記述された大石が横たわっている。
鹿島玉川神社鳥居
鹿島玉川神社拝殿
鹿島玉川神社境内社
境内社は拝殿の後ろにある。
これは部落内に祀られていた十一社を、明治十年五月合祀したものだ。
熊野神社、天祖神社、菅原神社、八幡神社、住吉神社、春日神社、多賀神社、厳島神社、疱瘡神社、稲荷神社、稲荷神社である。
鹿島玉川神社御由緒
「新編武蔵風土記稿」長淵村の項には
鹿島社 下村の西にあり、小社にて、覆屋あり、二間に三間、北向なり、
鎮座の年代詳ならず、それの年代御朱印を附せられ、社領二石八斗の地を賜ふ、
例祭年々九月十九日、入間郡北野村神職栗原左衛門社事を司どれり、 村の鎮守なり
と記述されている。
名もなき石
「新編武蔵風土記稿」には
岩石 本社の右の方にあり高一丈余、周囲は六抱ほど、
名もなき石なれども、その状奇なり
と記述されている。現在もそのまま残されている。
熊野神社
熊野神社御祭神
伊邪那岐命
伊邪那美命
速玉之男命
事解之男命
熊野神社御由緒
不詳
「新編武蔵風土記稿」に熊野神社の記述はない。
(TATSUさん)
No.1208
2010.2.17 UP
2022.9.15 更新
参考文献
- 『新編武蔵風土記稿』