熊野十二所権現を祭る
場所
小田急線多摩センター駅より、聖蹟桜ヶ丘駅行きバス乗車、中和田バス停下車後徒歩5分ほど。
和田集落の奥、山の中腹に鎮座、境内は駐車場となっている。
社殿に近づくとアラーム音が聞こえる。賽銭泥棒対策か?
それは別にして、鳥居から社殿を見上げると、昔ながらの村の鎮守といった趣がある。社殿はまだ新しい。
御由緒
不詳
「新編武蔵(国)風土記稿」には、
十二所権現社 除地、凡一丁許、村の北の方なる山の麓にあり、當社あるを以て、ここを十二所と呼べり、入口に鳥居あり、本社は小祠にて、二間に二間半の上屋を立、相傳ふ當社は、昔三田某が勧請する所なりと、されどその年暦は傳へず、三田氏は何人なると云ことも失したれば考ふるによしなし、例祭九月十二日、村内高蔵院持
御祭神
祭神は、和歌山県熊野権現の別称、熊野本宮、新宮、那智山に祀られる十二の権現(天神七代、地神五代)とされる。
(「多摩市史」参照)
ただ、この参照文章は、天神七代+地神五代と、熊野十二所権現(三所権現+五所王子+四所明神)とを同一視しているが、本来は別の物のはず。
明治初期の神仏分離の際、権現、明神、菩薩、牛頭天王などの仏教後の名称を廃止し、神社に置き換える時に、祭神もこじつけられた。
十二神社、十二所神社、十二社神社で本来は熊野権現とされていた祭神が
その時変わってしまったことも多々あると思う。それに伴い本来の祭神も永遠に忘れられた。
神社の祭神はこのように一筋縄ではわからない。
祭神が、天神七代、地神五代とされている神社にも熊野系神社と疑う必要がある。
(TATSUさん)
No.1325
2010.9.25 UP
2020.6.9 更新
参考文献
- 『新編武蔵(国)風土記稿』
- 『多摩市史』