本宮鎮座以前に熊野権現が降臨した聖地
白良浜の北側に突き出た権現崎の付け根の辺りに鎮座する熊野三所神社。
白良浜からは鳥居が見え、境内は白砂の砂浜です。
権現崎を間に置いて、南側が白良浜、北側が瀬戸湾となります。
白良浜から見える権現崎のこんもりとした森が熊野三所神社の社叢(神社の森)で、県の天然記念物に指定されています。
海に面する外縁部はウバメガシ・トベラ・ツバキ・ハマヒサカキ・クロマツなど潮風に強い木が生え、内部にはホルトノキ・クスノキ・スダジイなどが生える、典型的な海岸性の照葉樹林です。
白良浜からは鳥居も見えます。
本殿下には長方形の磐座があるそうで、また本殿の背後には巨大な岩石があり、
かつての熊野地方の自然崇拝、巨石信仰の面影を今に残してる神社のひとつです。
そもそもは巨石崇拝の社で熊野三山の信仰とは別物であったのでしょうが、熊野信仰が盛んになると、熊野三山の別宮的存在となったそうです。
祭神は伊弉冉尊・速玉男命・事解男命。
摂社として地主神社があり、その祭神は猿田彦命・天宇豆売命(あめのうずめのみこと)。
末社の八坂神社の祭神は須佐之男命・稲田姫命。
もうひとつある末社の恵比須神社の祭神は恵比須大神。
境内には、火雨塚(ひさめづか)古墳という6世紀後半(約1400年前)に築造されたと考えられる横穴式石室の古墳があります。
直径8m、高さ2mの円墳です。
石棺蓋石に人名と思われる線刻が見られる非常に珍しい古墳で、県の史蹟に指定されています。
また斉明4年(658)の斉明天皇の行幸を記念して昭和37年(1962)に建てられた石碑もあります。
斉明天皇はじめ持統・文武帝が紀の湯に行幸した折、権現崎の北側(白良浜とは反対の側)、瀬戸湾に面した側に船をつけたことから、熊野三所神社の社叢を御船山と称するそうです。
権現崎には海沿いを歩く遊歩道がありますので、ゆっくり海や森を眺めながら歩くのもよいと思います。
国の天然記念物に指定されている泥岩岩脈も権現崎の北側にあります。一周約20分です。
境内にはこれが本社かと見まがうほどに立派な「御座船奉安庫」という建物が建ち、その中には、一艘の白色の船が格納されています。
昭和4年(1929)に昭和天皇が南紀行幸の際に乗船した、舷腹に菊の御紋章のついた御座船です。
生物学者でもあった昭和天皇(1901~1989)は、南方熊楠(みなかたくまぐす。1867~1941)の粘菌研究に関心をもち、熊楠に粘菌学の進講を求め、昭和4年に南紀行幸が実現されました。
昭和天皇は、熊楠の保護運動により伐採を免れた神島(かしま)という田辺湾に浮かぶ小島にて、粘菌採集の案内を熊楠に受けました。
神島は千年不伐の手付かずの自然が残された、亜熱帯性の植物に富む、菌類、粘菌の宝庫で、その神島に渡るために昭和天皇は御座船に乗船しましたが、その御座船がここ、熊野三所神社には保存されているのです。
進講の翌年、神島は和歌山県の天然記念物に指定され、行幸記念碑が建てられました。
その碑には熊楠が進講の日の感激を詠んだ歌が刻まれています。
一枝も心して吹け沖つ風 わが天皇(すめらぎ)のめでましゝ森ぞ
熊楠が愛し、昭和天皇が愛でた神島は、熊楠らの働きかけにより昭和11年(1936)に国の天然記念物に指定されています。
その5年後の昭和16年(1941)に熊楠は75歳で生涯を閉じました。
昭和37年(1962)、昭和天皇は南紀行幸した折に白浜の宿から神島を眺め、33年前に出会った熊楠を追憶し、歌を詠みました。
雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ
熊楠の歌に対する返歌のようです。
白浜町出身の糸己リリリさんからこの神社の参詣記を投稿いただいています。
そちらももどうぞご覧ください。
(てつ)
No.174
2003.3.29 UP
2022.2.5 更新