地元での呼称は「熊野大社」、日本三熊野のひとつとされる
山形県南陽市宮内字坂町の熊野神社 その2
御由緒
パンプレットより。
安政二(1855)年の東講商人鑑(道中案内書)に熊野大権現(天台・真言・修験・神道の四派により守護)熊野山證誠寺は、大同元年、平城天皇の勅命により再建、天台宗を広めるための旧跡、後白河法皇の勅命を受け天下太平祈願を勤めたと記されております。また、慈覚大師円仁が、ご本尊として、弥陀、薬師、観音の三像(現在は考古館に展示)、大黒像(参宮の皆様に画像としてお渡ししております)を納められ、元寇などの国難にあたっては国難退散の祈祷が行われました。そのお籠もりの場所は、現在、鏡池として残っております。中世、全国的に広がった熊野信仰により大小の熊野神社が各地に祀られました。その中でも特に有名な、和歌山の熊野本宮・那智・速玉大社、群馬・長野県境の熊野皇大神社、当宮内熊野神社は日本三熊野と証されました。明治の神仏分離により、熊野神社と改称し、伊勢神宮直伝の大々神楽を奉納申し上げる「熊野大社参宮」を行うようになってからは、東北の伊勢宮内熊野大社と尊称されるようになりました。
二の鳥居
扁額
本殿
大銀杏
(山濱さん)
No.105
2001.11.1 UP
2021.10.31 更新