楠の樹を見るごとに口にいうべからざる特殊の感じを発する
予の兄弟九人、兄藤吉、姉熊、妹藤枝いずれも右の縁で命名され、残る六人ことごとく楠を名の下につく。
なかんずく予は熊と楠の二字を楠神より授かったので、四歳で重病の時、家人に負われて父に伴われ、未明から楠神へ詣ったのをありありと今も眼前に見る。
また楠の樹を見るごとに口にいうべからざる特殊の感じを発する。
ー 「南紀特有の人名」『南方熊楠全集』3巻
楠を見るたびに言葉に表せない特殊な感覚・感情が起こる、と南方熊楠は自分の名の一部である楠にひときわ強い愛着を抱いていることを明かしています。
熊楠は名前を和歌山県海南市にある藤白神社から授かりました。藤白神社は、大阪の天満橋の辺りから始まる熊野参詣道・紀伊路沿いにある神社で、もとは藤白王子(藤代王子とも)です。熊野九十九王子のなかでもとくに格式が高い王子社のひとつで、藤白王子にはかつて「熊野一の鳥居」と称される熊野の入口とされた大鳥居がありました。
熊楠の両親は藤白神社を信仰していて、熊楠の兄弟たちはみな名前の1字を藤白神社から授かりました。藤白神社の神主が子供の名前に授けた1字は、熊野の「熊」、藤白の「藤」、そして藤白神社に神として祀られる楠にちなんだ「楠」などです。
熊楠の場合は体が弱かったため特別に「熊」と「楠」の2字が授けられました。 熊楠という名前の意味するところは「熊野の楠」です。
ついでに一言するは、今日は知らず、二十年ばかり前まで、紀伊藤白王子社畔に、楠神と号し、いと古き楠の木に、注連結びたるが立てりき。
当国、ことに海草郡、なかんずく予が氏とする南方苗字の民など、子生まるるごとにこれに詣で祈り、祠官より名の一字を受く。楠、藤、熊などこれなり。この名を受けし者、病あるつど、件の楠神に平癒を祈る。
知名の士、中井芳楠、森下岩楠など、みなこの風俗によって名づけられたるものと察せられ、今も海草郡に楠をもって名とせる者多く、熊楠などは幾百人あるか知れぬほどなり。
予思うに、こは本邦上世トテミズム行われし遺址残存せるにあらざるか。
ー 「小児と魔除」『南方熊楠全集』2巻
特定の社会集団や個人が特定の動植物と特別なつながりがあるとする動植物をトーテムと言い、その信仰をトーテミズムといいます。
只今もっぱらトーテムと言うのは、米(アメリカ)、阿(アフリカ)、濠(オーストラリア)、亜(アジア)諸州の諸民がそれぞれ、ある天然物と自家との間に不思議の縁故連絡ありと信じ、その物名を自分の名として、父子また母子代々襲用するを指す。
よほど差し迫った時の外は、自家の名とする物を害せず、また殺さず、しかして多くの場合には、その物がその人を守護し、夢に吉兆を示す、とある。
ー 「トーテムと命名」『南方熊楠全集』3巻
熊楠は楠に特別なつながりを感じていました。病気のときには楠の神樹に平癒を祈り、自分を守護してくれる楠に感謝し、楠をトーテムとして生きました。
トーテミズムは特定の動植物とのつながりを通じて、人間と自然とのつながりを結びなおします。トーテミズムは、自然環境を破壊できる能力を持った人間が好き勝手に自然を破壊しないようにするための知性の働きのひとつです。他の生き物とのつながりは、人間が人間以外のものにも礼儀正しくあらねばならないことを意識させます。楠とつながりのある人間にとって、楠を傷つけたり、殺したりすることはしてはならないことでした。
明治時代末期、熊野では神社合祀で多くの神社が潰され、森が伐られ、楠も多く伐られました。熊楠の神社合祀反対運動は、自分が特別なつながりを感じていた楠を守ろうとした戦いでもありました。
藤白神社の境内にある楠神社
(てつ)
2024.5.13 UP
参考文献
- 『南方熊楠全集』3巻、平凡社
- 『南方熊楠全集』2巻、平凡社