小生は藤白王子の老樟木の神の申し子なり
小生は藤白王子の老樟木(くすのき)の神の申し子なり。
ー 水原尭栄宛書簡、昭和14年(1939年)3月10日付『南方熊楠全集』9巻
南方熊楠は名前を和歌山県海南市にある藤白神社から授かりました。
藤白神社は、大阪の天満橋の辺りから始まる熊野参詣道・紀伊路沿いにある神社で、もとは藤白王子(藤代王子とも)です。熊野九十九王子のなかでもとくに格式が高い王子社のひとつで、藤白王子にはかつて「熊野一の鳥居」と称される熊野の入口とされた大鳥居がありました。
熊楠の両親は藤白神社を信仰していて、熊楠の兄弟たちはみな名前の1字を藤白神社から授かりました。
予の兄弟九人、兄藤吉、姉熊、妹藤枝いずれも右の縁で命名され、残る六人ことごとく楠を名の下につく。
なかんずく予は熊と楠の二字を楠神より授かったので、四歳で重病の時、家人に負われて父に伴われ、未明から楠神へ詣ったのをありありと今も眼前に見る。
また楠の樹を見るごとに口にいうべからざる特殊の感じを発する。
ー 「南紀特有の人名」『南方熊楠全集』3巻
藤白神社の神主が子供の名前に授けた1字は、熊野の「熊」、藤白の「藤」、そして藤白神社に楠神として祀られている楠の大樹にちなんだ「楠」などです。熊楠の場合は体が弱かったため特別に「熊」と「楠」の2字が授けられました。
熊楠にとって「熊楠」という名前は大きな意味がありました。熊楠という名前の意味するところは「熊野の楠」です。熊楠はその名前の通り「熊野」と「楠」に特別な愛着を抱いていました。
明治時代末期、熊野では神社合祀で多くの神社が潰され、森が伐られました。熊野地方の神社の森にはたいてい大きな楠が生えていたので、楠もたくさん伐られました。
熊楠の神社合祀反対運動は、「熊野の楠」を守ろうとした戦いでもあり、自分自身を守る戦いでもありました。
藤白神社の境内にある楠神社
(てつ)
2024.5.12 UP
参考文献
- 『南方熊楠全集』9巻、平凡社
- 『南方熊楠全集』3巻、平凡社