南朝の忠臣の屋敷跡が神社に
三重県熊野市神川町花尻、県道40号(熊野矢の川線)沿いにある花知神社。
かつて南朝の忠臣の屋敷であった土地が神社になっています。
北山川の川岸にあって、川向いは和歌山県北山村竹原です。
以下、説明板より。
熊野市指定文化財 史跡 竹原八郎屋敷跡
1. 所在
神川町字花尻
2. 由緒
南朝の忠臣竹原八郎が1331年(元弘元年)の冬 大塔宮護良親王(だいとうのみやもりながしんのう)を熊野路にお迎えして、いちはやく兵をあげ、伊勢に進出して目ざましい働きをした。
ここはその竹原八郎の屋敷跡である。東西44メートル、巾8メートルの土塁と深さ6メートル、巾8メートルのカラ堀をめぐらし、北は断がいとなっていて天然の要塞をなしている。
ただし堀は東側だけになっている。3. 指定
昭和39年4月28日
熊野市教育委員会
祭神は護良親王・牛頭天王・竹原八郎
花知神社の祭神は、護良親王、牛頭天王、竹原八郎。
大塔宮護良親王(おおとうのみや もりながしんのう/もりよししんのう)は後醍醐天皇の皇子。元弘元年(1331年)、後醍醐天皇が2度目の鎌倉幕府討幕運動である元弘の変を起こすと、天台座主であった大塔宮護良親王は還俗して参戦。各地を転々として幕府軍と戦います。その際にこの地では土豪の竹原八郎が護良親王の力となりました。
川向いの北山村竹原にも竹原八郎が住んでいたという「上の坊屋敷」の跡があり、その他にも、竹原八郎の建立と伝わる東光寺や、竹原八郎の娘と護良親王との間にできた若宮を祀る骨置神社(こうずじんじゃ)があります。
(てつ)
2009.10.22 UP
2020.5.15 更新
参考文献
花知神社へ
アクセス:JR熊野市駅から車で約40分くらいでしょうか
駐車場:駐車場なし