もと九十九王子社の一社・芳養王子
大神社は熊野九十九王子の1社である芳養王子(はやおうじ)の跡だとされます。
熊野古道「紀伊路(きいじ)」、三鍋王子と出立王子の間に芳養王子は位置します。
天仁2年(1109年)の藤原宗忠の日記『中右記』の10月22日の記事には、
早(はや)の海浜に出て、河を越え、早王子に参る。
とあり、建仁元年(1201年)の藤原定家の『後鳥羽院熊野御幸記』の10月12日の記事には、
次にハヤ王子に参る。御幸入御の間に、先陣して出立王子に参る。
とあります(現代語訳てつ)。
解説板より。
芳養王子社跡
熊野三山参詣街道に祭祀された九十九王子社の一社、当芳養王子社は建仁元年(1201)十月十二日、後鳥羽上皇が熊野参詣の途次、当社に奉幣の使いを派遣したこと『御幸記』に見え由緒は古い。爾後、下芳養荘の産土神として当地方の敬信を永く集めていたことも紀伊続風土記に記されている。
明治四年の神社合祀により現在の大神社として合祀され今日に到っている。田辺市内の五王子社趾の一つとして有名な遺跡である。
昭和四十六年
和歌山県教育委員会
田辺市教育委員会
芳養大神社
江戸時代には若一王子社と呼ばれていましたが、明治5年(1872年)に「大神社」という社名になりました。
よりことさま
大神社は俗に「よりことの宮」と呼ばれます。
昔、芳養浦の氏の長者の老翁の夢に神人が現われて「朝早く浜に出よ。底にひとつの神器があるだろう」と告げた。翌朝、老翁が浜に行ってみると、光を放つ笏(または鏡ともいう)が川口の岩の上にあるのを見つけた。老翁は喜んで岩の上に机を据え、その机の上に笏を安置した。この岩を神机島という。その後、笏は大神社の地に祀った。そのため、俗に「寄言の宮」と呼ぶ。
例祭
10月「体育の日」の前の日曜日に例祭が行われます。12:00~15:00、獅子舞が奉納され、15:00~16:00、5~7歳くらいの子どもを着飾り大人が肩車をしてお渡りをする「美女万歳」が奉納されます。美女万歳!
(てつ)
2010.8.26 UP
2020.7.3 更新
参考文献
- 西口勇『くまの九十九王子をゆく〈第1部〉紀路編―京都から田辺まで』
- 燃焼社くまの文庫3『熊野中辺路 伝説(下)』熊野中辺路刊行会
- くまの文庫4『熊野中辺路 古道と王子社』熊野中辺路刊行会
- 田辺探訪 芳養王子
大神社(芳養王子跡)へ
アクセス:JR芳養駅から徒歩約4分
駐車場:駐車場はなし