疱瘡神、高さ30m余りの大岩が御神体
○ 倶盧尊仏
村の東の谷にある。高さ10余丈の巌をいうのだ。疱瘡神と崇める。また鉾島ともいう。村民の奉祭する者から疱瘡護符を出す。
とあり(現代語訳てつ)、読んだときからずっと気になっていた津荷谷の倶盧尊仏(読み方はくろそんぶつ、もしくは、くるそんぶつ、か)。
倶盧尊仏のことを知っている人が身近におらず、「行けばわかるだろう」と探しに行くことにしました。
津荷谷村は昭和12年(1937年)に無人化して廃村となり、植林されて山林になっています。
林道「大津荷(おおつが)線」を進んでいくと、林道沿いに今は山林となった集落跡が見え、「東の谷」とあるからこの辺りかもと見当をつけて、車をとめて集落跡がある山林内に入ってみましたが、わかりません。
結局林道終点まで行き、そこに歩く道の入り口があるので入ってみると、下の画像の案内板がありました。
「黒尊仏 これより400m」。黒尊仏(くろそんぶつ)。字は違うけれども倶盧尊仏のこと。
この案内板がなければきっとたどり着けませんでした。
丸太で作った橋がかかっていました(※その後、橋は大雨で流出)。
谷沿いの道を遡っていきます。緩やかなわずかに登りの道。
また案内板が。
本地仏は千手観音のようです。
この奥に黒尊仏が。
この岩が黒尊仏。ここへ来るまで徒歩10分ほど。
高さ30m余りの大岩がそそり立ちます。
石灯籠や小さな金属製の鳥居が。
神として祭られるのも納得の、圧倒的な存在感を放つ大岩。
私の写真ではその大きさを伝えられませんが、こんな場所にこんなすごいものがあったのかと驚かされました。
『紀伊続風土記』には「疱瘡神と崇める」「奉祭する者から村民に疱瘡護符を出す」とあります。疱瘡神(ほうそうがみ、ほうそうしん)は、疱瘡(天然痘)を擬神化した悪神。疱瘡(天然痘)は、非常に強い感染力と高い致死率のために恐れられた感染症です。天然痘に対する免疫を持っていない人への感染率は100%に近く、感染した場合の致死率は20〜50%。
今では天然痘はワクチンのおかげで根絶しましたが、昔は神仏に祈る他なかったのでしょう。天然痘にかからないように、かかったとしても症状が軽く済むように、との願いをもっぱらに聞き入れてくれるのが疱瘡神でした。疱瘡神に祈ると疱瘡をまぬがれる、あるいは軽く済むと信じられました。
ほこじま
また『紀伊続風土記』には「また鉾島ともいう」とあり、川湯温泉の背後にある飯盛山の山頂近くにかつてあった大岩ホコジマさんもこのような感じだったのかなと想像しました。
くるそんぶつ
『紀伊続風土記』には黒尊仏ではなく倶盧尊仏と記されています。これは普通「くるそんぶつ」と読むので、そこから黒尊仏(くろそんぶつ)に変化したのかもしれません。あるいは、盧は「ろ」と読めるので元から「くろそんぶつ」だったのかもしれません。ともかくもいま地元の人は「くろそんぶつ」と呼びます。
「くるそんぶつ」とは倶留孫仏、拘留孫仏などとも書き、過去七仏(釈迦仏までに登場した7人の仏陀。第七仏が釈迦仏)の第四仏。
大水害
昭和28年(1953年)7月の大水害までは社殿があったらしいです。大水害で流出して以降は無社殿。 江戸時代の紀伊国の地誌『紀伊続風土記』には社殿ありともなしとも書いていません。 平成23年(2011年)9月の大水害では石灯籠等が流出、損壊。
動画
動画を作りました。3分ほどの動画です。ぜひご覧ください。
(てつ)
2010.12.17 UP
2010.12.23 更新
2011.1.20 更新
2011.2.11 更新
2020.2.24 更新
2021.7.12 更新
参考文献
- 『紀伊続風土記 (第1-5輯)』臨川書店
黒尊仏へ
アクセス:林道大津荷線を終点まで、そこから徒歩で10分。
林道は道幅が狭く、未舗装です。運転の苦手な方はご無理なさらないように。途中三叉路になっている所がありますが、そこは谷を遡る谷沿いの道を行きます。
林道終点からは川を渡って谷沿いにある歩道を徒歩10分ほどですが、山に慣れていない人には歩道がわからないかもしれません。ガイドを依頼されるのがよいと思います。
駐車場:林道終点に駐車スペースあり