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大丹倉(おおにぐら)

 三重県熊野市育生町赤倉 赤倉村:紀伊続風土記(現代語訳)

修験の行場であった大絶壁

大丹倉

 和歌山県北山村から三重県御浜町に抜ける県道52号(御浜北山線)を車で北山村から大丹倉に向かいます。県道52号にある大丹倉撮影ポイントから大丹倉を。

大丹倉説明板

 道路端に説明板があります。以下、説明板より。

大丹倉(熊野市指定文化財 天然記念物)

 前方の大絶壁が大丹倉である。岩壁の高さは約300mで、流紋岩でできている。岩肌が赤く見えるのは、岩に含まれる鉄分が風化によって酸化したためである。「丹」という字は「赤い色」という意味があり、「倉」という字は断崖絶壁の山を表す。ここからこの名が付いたといわれている。
 標高488mの頂上からの展望は素晴らしく、頂上の絶景ポインまで徒歩5分のところに駐車場がある。

大丹倉と修験道

 この地方は古代から修験道が盛んであった。修験道は、山岳地帯で厳しい修行を行って霊験を得ることなどを目的にしている。熊野の峻険な山地は、修行の場に適し、大丹倉の中腹には行をしたという10畳以上の石畳がある。
 頂上に、高倉剣(たかくらつるぎ)大明神が祀られている。苔むした自然石が御神体で、その下に河内の国から来た行者が残していったという剣が納められている。また、天狗様と呼ばれ、修験者で鍛冶でもあった近藤兵衛という武士の屋敷跡(天狗鍛冶跡)も残っている。

 52号線を育生町赤倉まで進み、そこから赤倉林道に入ります。赤倉林道に入ってからは、穴山関所跡丹倉神社を経て約10分で林道終点へ。終点には広い駐車スペースがあります。

 熊野天狗鍛冶の発祥地(近藤兵衛屋敷跡)の説明板があります。

熊野市指定文化財
  史跡  熊野天狗鍛冶の発祥地(近藤兵衛屋敷跡)

 ここは、近藤兵衛(こんどうひょうえ)の屋敷跡で、東西64メートル、南北45メートルの広さがあり頂上は、高1メートル、天端(てんぱ)1メートルの卵形の土居が残る、中世の館の形式である。
 兵衛のことについては詳細は不明であるが、武士であると共に修験者でもあり、この場所で鍛冶を職とし、別名天狗鍛冶とされ、新宮の権太吉久・吉兵衛、久兵衛は兵衛より矢の根の技術を伝授されたという。また、豊臣秀吉に度々矢の根を献上している。その他、槍、刀など、数は少ないが現存している。
  指定 昭和44年7月17日  熊野市教育委員会

 もうひとつの説明板。

熊野天狗鍛冶屋敷跡  熊野天狗鍛冶の発祥地

 屋敷跡は大丹倉の北にあり、縦13m横9mの方形で高さ1m足らずの土手に囲まれている。今でも金属の原料などが出土している史跡である。
 文禄の頃(1592~96)、丹倉の山守をしていた近藤兵衛という武士がいた。兵衛は砦を守りながら鍛冶をしていたが、夜になれば大丹倉の岩壁にこもり、荒行をする修験者であった。神出鬼没の行状から、里人は彼を天狗さまと 畏敬するようになったという。
 兵衛は矢の根鍛冶を得意とし、新宮の権太吉久(ごんたよしひさ)という鍛冶に矢の根の技術を授けた。吉久は、これを受け継ぎ、天狗吉久という名で矢の根鍛冶を続け太閤秀吉に度々矢の根を献上したという。これが天狗鍛冶の始まりといわれている。現在、有馬町にある歴史民俗資料館には、「天狗吉久銘の槍」が展示されており熊野市指定文化財となっている。
 また、ここから引き返す途中に丹倉(あかぐら)神社がある 。祭神は近藤兵衛と高倉下(たかくらじ)で、御神体は注連縄を張った巨岩である。天保10年(1839)と刻まれた御神灯があり、その横に木本浦の船津憲之が寛延3年(1750)に寄進した大きな鼎(金属の器)がある。

 林道終点から大丹倉までは平坦な道を徒歩5分。

大丹倉高倉剣大明神

 高倉剱大明神。この下に行者が残していった剣が納められているという。

大丹倉樫原神宮遥拝所

 樫原神宮遥拝所の碑。

大丹倉

 高倉剣大明神の正面にある岩を登ると絶景ポイントに。

大丹倉

 おおおっ。落ちたら死ぬ、と思うと、緊張感から汗がにじんできました。眺めはたしかに素晴らしい。絶景です。

 林道終点から徒歩約30分の表丹倉へもどうぞ。

(てつ)

2009.10.15 UP

参考文献

大丹倉へ

アクセス:JR熊野市駅から車で約50分、徒歩約5分。
県道52号線及び赤倉林道は狭い道なので、車の運転には充分気をつけてください。 
駐車場:駐車スペースあり

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