応神天皇
現代語訳
3年 壬辰(みずのえたつ)
蝦夷を使役して厩坂道(うまやさかみち)を作った。
※厩坂道は百済から貢上された馬を飼育した所。
5年 甲午(きのえうま)
伊豆国に命じて枯野(からの)船を造らせた。
※軽くてよく走る船なので枯野と名付けられた。
9年 戊戌(つちのえいぬ)
讒言によって竹内宿禰(たけしうちのすくね)が探湯(くかたち)を行った。これが起請文の始まりである。
※探湯は古代日本で行われていた裁判の方法。神に誓って熱湯に手を入れさせ、火傷をしたものは邪、火傷をしなかったものは正とした。
31年 庚申(かのえさる)
枯野船が焼かれ、その燃え残りで琴を作らせた。9月に熊野山に行幸、宝印が光を放った。
※誤訳等ありましたらご指摘ください。
原文
三 壬辰
役蝦夷作厩坂道
五 甲午
科伊豆国令造枯野船
九 戊戌
依讒竹内宿禰探湯是起請文ノ始
三十一 庚申
枯野船被焼余燼ニテ令作琴九月幸熊野山宝印放光
(てつ)
2021.10.5 UP
参考文献
- 熊野速玉大社宮司 上野元監修・発行『速玉本 熊野年鑑』熊野速玉大社