孝徳天皇
現代語訳
大化4年 戊申(つちのえさる)
孝徳帝の時葬礼を新たにお定めになられた。日本書紀に見える。
5年 己酉(つちのととり)
去年、天王寺において霊鷲山(りょうじゅせん)の像を造った。法を求める僧を三韓に遣わした。これが遣唐使の始まりである。熊野山道和林作之(?)
※霊鷲山は古代インドのマガダ国の首都、王舎城の近くにあった山。釈迦が法華経や無量寿経などを説いた所。
白雉(はくち)元年 庚戌(かのえいぬ)
去年、熊野山に大猿が集まり渡ってきた。長州穴戸(?)白い箱を献上。
4年 癸巳(みずのとみ)
吐火羅国と舎衛国の人が日向に来た。□ が日本に移った。
※誤訳等ありましたらご指摘ください。
原文
大化四年 戊申
孝徳帝ノ時葬礼ヲ新ニ定メ給玉フ日本紀ニ見エタリ
五 己酉
去年於天王寺造霊鷲山像遣求法僧三韓是唐使始熊野山道和林作之
白雉元年 庚戌
去年熊野山大猿集渡長州穴戸献白箱
四 癸巳
吐火羅国舎衛国ノ人日向ニ来□ 移日本
(てつ)
2021.10.9 UP
参考文献
- 熊野速玉大社宮司 上野元監修・発行『速玉本 熊野年鑑』熊野速玉大社