熊野の神は各地を転々と移動して熊野にたどり着いたとされます。
熊野縁起最古のものとされる『長寛勘文』に記載された『熊野権現垂迹縁起』には、次のようなことが記されています。
昔、唐の天台山の王子信が、高さ三尺六寸の八角の水晶となって、九州の彦山(ひこさん)に降臨した。それから、四国の石槌山、淡路の諭鶴羽山(ゆずるはさん)と巡り、紀伊国牟婁郡の切部山、そして新宮神倉山を経て、新宮東の阿須賀社の北の石淵(やぶち)に遷り、初めて結速玉・家津御子と申し、二つの社殿に祀った。その後、本宮大湯原イチイの木に三枚の月となって現れ、これを、熊野部千代定という猟師が発見して祀った。これが熊野坐神社の三所権現であると伝えられる。
この『熊野権現垂迹縁起』は、那智は登場しません。
降臨の順にたどるとすると、神倉神社→貴祢谷社→本宮大斎原となりますが、せっかくですので、熊野速玉大社と阿須賀神社と熊野本宮大社もめぐりましょう。
名古屋方面から鉄道・高速バスでお越しで、バスを利用する場合。
1泊2日。1日目に新宮・本宮をめぐり、本宮で宿泊。2日めに帰途につく。
新宮に到着する時間が遅くなる場合は、新宮をめぐった後、新宮で宿泊。2日めに本宮をめぐり、その後、帰途につく。
1日目
JR新宮駅
↓ 徒歩15分
神倉神社
↓ 徒歩15分
熊野速玉大社
↓ 徒歩5分
権現前バス停
↓ 三重交通バスで6分、矢渕バス停下車、徒歩5分
貴祢谷社
↓ 徒歩5分
矢渕バス停
↓ 三重交通バス新宮行きで10分、新宮駅前バス停下車
新宮駅前
↓ 徒歩10分
阿須賀神社
↓ 徒歩10分
新宮駅
↓ 熊野交通バスまたは奈良交通バスなどで約1時間20分、本宮大社前バス停下車、徒歩5分
熊野本宮大社
↓ 徒歩10分
熊野本宮大社旧社地「大斎原」
本宮で宿泊(湯の峰温泉・川湯温泉・渡瀬温泉など)
2日め
本宮
↓ 熊野交通バスまたは奈良交通バスなどで約1時間20分、新宮駅バス停下車
JR新宮駅
帰途につく
- 神倉神社(和歌山県新宮市神倉)
熊野の神が熊野において最初に降臨した場所。そのため神倉神社は熊野根本大権現とも呼ばれました。お燈祭りが有名。源頼朝寄進と伝わる鎌倉積みの石段と、ゴトビキ岩。
- 熊野速玉大社(和歌山県新宮市新宮)
熊野三山のひとつ。新宮。
石渕(やぶち)にある貴祢谷社の由緒によると、
神代の頃に神倉山に降臨した熊野神が約2500年前にここに移り、速玉大神、夫須美大神、家津御子大神の三柱の神を二つの社殿に祀った。約2000年前に石渕の祭神のうち、家津御子大神が本宮へ移り、約1900年前に石渕の熊野神が新宮へ移った。
とのこと。
- 貴祢谷社(三重県南牟婁郡紀宝町鵜殿村)
矢渕中学校の裏手にあります。神倉山の次に熊野の神が降臨した場所。
- 阿須賀神社(和歌山県新宮市阿須賀)
阿須賀神社の古伝によると、
熊野大神は初め神倉山に降臨し、次に阿須賀の森に遷り、熊野大神のうち家津美御子はさらに貴袮谷に遷ったが、結速玉の二神はそのまま阿須賀の森に留まった。第十代崇神天皇の御代に家津美御子はさらに熊野川上流の本宮に遷り、結速玉は第十二代景行天皇の御代に今の新宮に遷座した。
とのこと。
社殿背後にある円錐形をした神奈備山の名前は蓬莱山。
- 熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町本宮)
熊野三山のひとつ。
- 熊野本宮大社旧社地「大斎原」(和歌山県田辺市本宮町本宮)
明治22年(1889年)8月の水害時まで熊野本宮大社があった場所。熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある中洲。上皇や女院、貴族、武士、庶民達がはるばると目指したのが、この場所でした。
お車、または田辺からレンタカーをご利用できる場合、移動時間を短縮できるので、寄り道することも出来ます。
三重県紀宝町の牛鼻神社や三重県熊野市の産田神社、和歌山県白浜町の金刀比羅神社なども、それぞれに熊野権現が降臨したとの伝承を伝えます。
|新宮へのアクセス|新宮の宿泊施設|本宮の宿泊施設|新宮の宿泊施設|
(てつ)
2009.5.15 UP
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