生者の補陀落渡海が行われなくなったきっかけの事件が題材
井上靖の短編集の表題作「補陀落渡海記」。
熊野の補陀落寺(補陀洛山寺)の代々の住職には、61歳の11月に補陀落渡海を行なう慣わしがあった。
住職の金光坊は、まだ渡海する気になれないのに周囲の人々からのプレッシャーで渡海せざるをえなくなり、渡海することを決める。渡海するまでの金光坊の死に向かう心の動き、恐怖、葛藤を描く。
生者の補陀落渡海は江戸時代には行われなくなり、代わって、補陀洛山寺の住職が死亡した場合にあたかも生きているかのように扱って、渡海船に載せて水葬するようになったそうですが、そのきっかけとなったと伝えられるのが次に述べる事件。
戦国時代のこと。金光坊という僧が船出したものの、途中で命が惜しくなり、屋形を破り、船から逃げだして、小島に上がってしまった。役人はこれを認めることができず、金光坊を海に突き落として殺してしまった。
この事件がきっかけとなって生者の補陀落渡海はなくなったそうで、現在、那智浦沖には金光坊(こんこぶ)島と呼ばれてる小島があります。
この事件を題材に井上靖は、この短編小説「補陀洛渡海記」を書きました。
補陀落浄土を目指して船出した那智の浜。
補陀洛山寺にある渡海船のレプリカ。
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(てつ)
2009.8.10 UP
2020.8.10 更新
井上靖さんの著作
補陀落渡海関連本
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