和歌山県を代表する民俗学者・松原右樹氏の遺稿集
和歌山県を代表する民俗学者の松原右樹(まつばら まれき)先生が一昨年(2011年)に亡くなられました。
松原先生に親しかった方々が自費出版で刊行されたのが本書です。熊野愛に溢れ、さまざまに気づかされることがある素晴らしい本です。
三不浄を全く意に介さなかった熊野
平安時代中期に編纂された法典『延喜式』で国家的に規定された三不浄(死穢・産穢・血穢)。この3つの不浄を熊野は全く意に介さなかった。そういう視点から松原右樹(まつばら まれき)先生は熊野を語られます。
死穢・血穢
現存する文献の上では熊野縁起最古のものが、『長寛勘文』に記載された「熊野権現垂迹縁起」。それには次のような伝承が書かれています。
熊野部千代定という犬飼(猟師)が体長1丈5尺もの猪を射た。跡を追い尋ねて大湯原に行き着いた。件の猪は一位の木の本に死に伏していた。肉を取って食べた。
件の木の下で一夜、泊まったが、木の梢に月を見つけて問い申し上げた。「どうして月が虚空を離れて木の梢にいらっしゃるのか」と。月が犬飼に答えておっしゃった。「我は熊野三所権現である」と。
猪を獲って肉を食べた猟師の前に熊野権現が3枚の月の姿で降臨するという伝承は、朝廷や伊勢が不浄とする死にともなうケガレ(死穢、黒不浄)や血にともなうケガレ(血穢、赤不浄)を、熊野は意に介さないのだということを伝えています。
血にまつわる伝承としては和泉式部の伝説もあります。
和泉式部が熊野詣をして、伏拝の付近まで来たとき、にわかに月の障りとなり、本宮参拝を諦め、「晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき」と歌を詠んだ。
すると、その夜、和泉式部の夢に熊野権現が現われて「もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき」と返歌したので、そのまま参拝することができた。
この和泉式部の伝説は、血にともなうケガレ(血穢、赤不浄)を、熊野は意に介さないのだということを伝えています。
産穢
出産にまつわる伝承としては藤原秀衡の伝説があります。
奥州平泉の藤原秀衡が、妻が子種を授かったお礼に熊野参詣した。秀衡はその旅に妻を伴う。その道中、滝尻で、妻はにわかに産気づき、出産。秀衡夫妻は熊野権現のお告げにより滝尻の裏山にある乳岩という岩屋に赤子を残して旅を続けた。
この藤原秀衡の子捨て伝説は、出産に伴うケガレ(産穢、白不浄)を、熊野は意に介さないのだということを伝えています。
死や出産や血を不浄とする朝廷や伊勢とはまるで異なった価値観を、熊野は持っていたのです。
だからこそ熊野は大勢の人々を惹き付け、日本人の心の拠り所ともなったのでしょう。
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『松原右樹遺稿 熊野の神々の風景』は、一般の書店では販売していません。
入手方法は、なかひらまいさんのブログ記事をご参考にしてください。私もこの記事を参考にして入手しました。
【目次】
第1章 熊野のケガレ
第2章 本宮に降臨する三枚の月
第3章 ゴトビキ岩の秘儀ーー新宮
第4章 那智ノ滝の妖しい魅力
第5章 熊野の神々の原像
(てつ)
2013.4.1 UP