■ 熊野の本 | |||||||||
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◆ 高田崇史『QED 〜ventus〜 熊野の残照』講談社NOVELS |
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レビュアー:てつ(2007.1.18 UP)
登場人物が熊野についての蘊蓄を語りまくります。 この『熊野の残照』はQEDシリーズ第10弾ということで、QEDシリーズというのは桑原崇を探偵役とする推理小説のようです。 その代わりに熊野についての考察を、熊野旅行をしながら進めていきます。 これは違うんじゃないの、とか、これは勘違いしているかも、とか思う箇所もありますが、熊野三山の参拝順路についての考察など「なるほど」と思わされる箇所もありました。 中世の上皇による熊野御幸は通常、本宮→新宮→那智→新宮→本宮の順に行なわれましたが、後鳥羽上皇は4回目の熊野御幸の折(建仁元年(1201))、本宮→新宮→那智→本宮の順に行ないました。 中世において、京からの熊野詣の順路は、京都を出発し、船に乗って淀川を下り、現在の大阪市天満橋の辺りで上陸。海岸筋の熊野街道を熊野の玄関口、口熊野といわれた田辺まで南下。 ところが、後鳥羽上皇の4回目の熊野御幸は、本宮→新宮→那智と来て、那智からは那智の背後にそびえる妙法山に登り、「大雲取越え・小雲取越え」の険路を越えて本宮に戻りました(本宮→新宮→那智→本宮)。 なぜ後鳥羽上皇だけこのような順路で熊野御幸を行なったのか謎でしたが、桑原崇の説を読んで、こういうわけだったのかもと納得させられました。 本宮→新宮→那智→本宮の順路で熊野御幸した記録が残っているのが唯一、後鳥羽上皇の4回目の熊野御幸。文献上はこの1回しかありません。この20年後の承久三年(1221)に後鳥羽上皇は承久の乱を起こしました。後鳥羽上皇は20年前から鎌倉幕府打倒を考えていたのでしょうか。 QEDシリーズの1冊ですが、シリーズを通して読まないとわかりにくいということもなかったので、これだけを読むというのもOKだと思います。熊野旅行の前に読むと、ひと味違った熊野旅行になるかも。あくまでもこの小説はフィクションですが。 (てつ) |
※ ※ ※ 高田崇史さんの著作 QED 百人一首の呪 QED 神器封殺 ※ ※ ※ |
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