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熊野古道「中辺路(なかへち)」(滝尻~熊野本宮大社)」

 和歌山県田辺市中辺路町~田辺市本宮町

熊野那智大社から熊野本宮大社へ向かう熊野古道「大雲取越・小雲取越」

 熊野古道「中辺路(なかへち)」は田辺から始まりますが、古道らしい道が残されているのは、滝尻王子(たきじりおうじ)から。滝尻から本宮までは1泊2日で歩くことができます。

熊野古道熊野古道

滝尻から熊野本宮へ 中辺路コースタイム

1日目=滝尻から近露(約14.3km;約5時間35分)

 前日は白浜か田辺で宿泊。白浜・田辺での宿泊については、
白浜の宿泊施設
田辺の宿泊施設
をご覧ください。

・滝尻バス停
滝尻王子
  ↓(0.4km;15分)
・ネズ王子
  ↓(3.3km;1時間30分)
高原熊野神社
  ↓(1.9km;1時間)
・大門王子
  ↓(1.5km;40分)
・十丈王子
  ↓(4.3km;1時間35分)
・大坂本王子
  ↓(2.9km;35分)
近露王子
・近露バス停

 近露(ちかつゆ)にて宿泊。近露での宿泊については、
中辺路の宿泊施設
をご覧ください。

 野中(のなか)にも宿泊できるところがありますので、継桜王子(3.4km;1時間30分)まで歩き、野中で宿泊することもできます。

2日目=近露から本宮へ(約25km;約9時間)

近露王子
  ↓(2.4km;1時間10分)
・比曽原王子
  ↓(1.0km;20分)
継桜王子
  ↓(0.9km;15分)
中ノ河王子
  ↓(2.0km;30分)
小広王子
  ↓(4.3km;1時間10分)
・岩神王子
  ↓(2.2km;1時間30分)
・湯川王子
  ↓(3.8km;1時間20分)
猪鼻王子
  ↓(0.8km;15分)
発心門王子
  ↓(1.8km;30分)
水呑王子
  ↓(1.9km;40分)
伏拝王子
  ↓(3.0km;1時間)
祓戸王子
  ↓(0.1km;3分)
熊野本宮大社
  ↓(5分)
・本宮大社前バス停
  ↓(0.5km;5分)
熊野本宮大社旧社地
  ↓(0.5km;5分)
・本宮大社前バス停

 熊野本宮大社旧社地にお参りするのを忘れないでください。ここがもともと本宮のあった場所です。

1日目(約14.3km:約5時間35分)

滝尻王子(たきじりおうじ)
 滝尻王子は熊野九十九王子のなかでもとくに格式が高いとして崇敬されてきた「五体王子」のひとつ。熊野の霊域の入り口とされました。岩田川と石船川の合流点にあります。

・ネズ王子
 藤原宗忠(むねただ。平安時代末の貴族)の日記『中右記(ちゅうゆうき)』に「己が手を立てたる如し、誠に身力尽き了んぬ」とある剣ノ山の急坂の途中にあります。奥州の鎮守府将軍藤原秀衡(ふじわらのひでひら)の伝説が伝えられる乳岩の少し上方。

高原熊野神社(たかはらくまのじんじゃ)
 高原地区の産土神。熊野古道沿いで最古の神社建造物。楠の巨木があります。

 高原の集落を過ぎてから近露までの約9km(約3時間)途中に人家はありません。

・大門王子(だいもんおうじ)
 大門王子という名はここに鳥居があったことに由来するものと考えられています。付近に「水飲」という休息地が熊野詣が盛んになる以前からありました。

・十丈王子(じゅうじょうおうじ)
 中世は重點(じゅうてん)王子と呼ばれおり、近世になって十丈王子と呼ばれるようになりました。十丈峠にあります。

・大坂本王子(おおさかもとおうじ)
 悪四郎山山腹を巻いて横切り、上多和(うわだわ)茶屋跡(上多和には三体月の鑑賞地が設けられています)を経て逢坂峠を下った麓にあります。

近露王子(ちかつゆおうじ)
 花山法皇の埋経の上に立つとの伝承を持つ法篋印塔や、花山法皇の旅姿を写したものといわれる牛馬童子像(ぎゅうばどうじぞう)がある箸折峠(はしおりとうげ)を経て、熊野詣の宿場として賑わった近露の里へ。近露王子は最も早く出現した王子のひとつで、五体王子に継いで重要視されました。

2日目(約25km;約9時間)

近露王子(ちかつゆおうじ)
 近くに野長瀬(のながせ)一族の墓があります。野長瀬一族は、後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王(もりよししんのう)に味方した近露の豪族。

比曽原王子(ひそはらおうじ)

継桜王子(つぎざくらおうじ)
 「野中の一方杉」と呼ばれる10本ほどの巨杉があります。かつて社前に継ぎ木の桜(継桜)があったと伝えられます。継桜は藤原秀衡の伝説と結びつき、秀衡桜と呼ばれました。近くに日本名水百選の野中の清水があります。

中ノ河王子(なかのがわおうじ)

小広王子(こびろおうじ)
 小広峠にあります。近くに熊瀬川(くませがわ)王子跡といわれる場所がありますが、小広王子と熊瀬川王子は同じ王子で、小広峠にあったと考えるのが妥当なようです。

 小広峠から発心門王子までの約11km(約4時間)は、人家がありません。

・岩神王子(いわがみおうじ)
 わらじ峠からの女坂を下って栃の川を渡り、男坂を登った岩神峠にあります。平安末の貴族・藤原宗忠はここで盲人に会って食料を与えたと、日記『中右記(ちゅうゆうき)』に記しています。

・湯川王子(ゆかわおうじ)
 五体王子に継いで重要視された王子のひとつ。熊野詣の宿場として賑わった湯川も今は無人。

猪鼻王子(いのはなおうじ)
 口熊野と奥熊野の境である三越峠(みこしとうげ)を下ると、音無川源流で、猪鼻王子は音無川の上流近くにあります。近くに船玉神社があります。

発心門王子(ほっしんもんおうじ)
 かつて発心門と呼ばれる大鳥居があり、本宮の聖域の入り口とされました。

水呑王子(みずのみおうじ)
 廃校跡にあります。中世には、大門王子付近に「水飲」があったので、「内の水飲」と呼ばれてました。近世以降、「水呑」となったようです。

伏拝王子(ふしおがみおうじ)
 中辺路を歩く参詣者が初めて本宮の森を遠望できる場所です。ここから本宮の森を伏し拝んだといわれます。和泉式部の伝説があります。

祓戸王子(はらいどおうじ)
 旅の穢れを祓い清める潔斎所であったと考えられます。

熊野本宮大社
 祓戸王子のすぐ近くにあります。

熊野本宮大社旧社地
 明治22年に大水害に遭うまで本宮があった場所。

 熊野参詣道(熊野古道)「中辺路」は、ハンセン病者も盲人も歩いた道であり、山道としては決して険しい道ではありません。しかし、やはり山道ですし、道中、何が起こるかわかりませんので、二人以上で歩かれることをお勧めします。

 あらためて熊野参詣道(熊野古道)「中辺路」について

 熊野詣の道にはいくつかのルートがありました。
 大阪と熊野を結ぶ紀伊路(きいじ。紀路(きじ)とも)、伊勢と熊野を結ぶ伊勢路(いせじ)、高野山から南下して伯母子岳や果無(はてなし)山脈を越える小辺路(こへち。果無街道とも)、吉野から大峰山脈を縦走する行者道の大峰奥駈け道、吉野から北山川の河谷を南下する北山街道、五条から天辻峠を越えて十津川を下る十津川街道など。

 それらの熊野参詣道で、熊野信仰が最も盛んだった中世にもっぱら利用されたのが、紀伊路です。

 京都を出発し、船に乗って淀川を下り、現在の大阪市天満橋の辺りで上陸。海岸筋を熊野の玄関口、口熊野といわれた田辺まで南下。
 田辺からは東に分け入り「中辺路」の山中の道を本宮へ向かう。本宮からは熊野川を船で下り、熊野川河口にある新宮に詣でる。新宮からは再び徒歩で海岸線沿いを辿り、それから那智川に沿って那智に登っていく。那智からは再び新宮を経、熊野川を遡行して本宮に戻り、再び「中辺路」を歩き、都に帰っていく。
 これが中世の熊野詣の一般的な順路でした。往復約600km、およそ1ヶ月かけて歩き、熊野を詣で、京へ帰っていきました。

 ここで「中辺路」という名称を使いましたが、「中辺路」と「紀伊路」は同じ道です。「紀伊路」の田辺から本宮までの道を、後世になって「中辺路」と呼ぶようになりました。
 近世初頭ころからか、田辺からそのまま海岸線沿いに南下し、紀伊半島をぐるっと回って那智の浜に到る道を「大辺路(おおへち)」、高野山と本宮を結ぶ道を「小辺路」と呼ぶようになり、それにともない、紀伊路の田辺から本宮までの道を「中辺路」と呼ぶようになったようです。

 「紀伊路」とは本来、大阪から「中辺路」を通って熊野へ到る道をいうのですが、近世以降、「大辺路」も「紀伊路」のひとつとなり、「紀伊路」に「中辺路」ルートと「大辺路」ルートの2つがあるようになりました。
 そのため、少しややこしいので、ここでは便宜的に大阪から田辺までの道を「紀伊路」とし、本来の「紀伊路」を「紀伊路-中辺路」と表現し、大阪から「大辺路」を通って熊野へ到る道は「紀伊路-大辺路」と表現することにします。
 「紀伊路-大辺路」による熊野詣の記録が見られるのは、近世になってからで、熊野信仰が最も盛んだった中世にはもっぱら「紀伊路-中辺路」が利用されました。

 「紀伊路-中辺路」の特色としては、王子の存在を挙げることができます。
 「紀伊路-中辺路」の道筋には、王子と呼ばれる神祠が多数出現しました。
 王子は大辺路や伊勢路、小辺路など他の熊野参詣道には出現せず、上皇や女院が歩いた中世の熊野詣の公式ルート「紀伊路-中辺路」にのみ出現しました。

 王子とは、よくはわかりませんが、熊野権現の分身として現れた御子神のことだと考えればよいと思います。
 道中最初の王子「窪津王子」は、「紀伊路」の出発点、淀川河口付近、大阪市天満橋の辺りにあります。そこから片道300kmに及ぶ「紀伊路-中辺路」の道中、熊野三山に至るまで多くの王子が祀られています。その数は、現在、確認されているもので、およそ100。
 それらの王子をまとめて「熊野九十九王子」と呼びます。九十九という数字は実際の数ではなく、大変多いという意味で使われていますが、だいたい近い数になっています。

 中世の熊野詣の道者は、これらの王子のひとつひとつで奉幣や経供養などを行いながら、「紀伊路-中辺路」を歩きました。
 花山法皇鳥羽上皇後白河上皇後鳥羽上皇もこの道を歩きました。平清盛重盛もこの道を歩きました。西行も一遍もこの道を歩きました。

 これだけ貴重な歴史を持つ「紀伊路-中辺路」でしたが、明治末に施行された1町村1社を原則とする神社合祀令が熊野を破壊し、「中辺路」を完全に破壊してしまいます。

 明治政府は記紀神話や延喜式神名帳に名のあるもの以外の神々を排滅することによって神道の純化を狙いました。
 熊野信仰は古来の自然崇拝に仏教や修験道などが混交して成り立った、ある意味「何でもあり」の宗教ですから、合祀の対象となりやすかったのでしょう。神社合祀令により熊野(和歌山県・三重県)の神社のじつに8割から9割が滅却され、神社林が伐採されたといいます。

 村の小さな神社が廃止されただけでなく、貴重な歴史のある「中辺路」の王子社までもが合祀され、廃社となり、神社林が伐採されました。
 田辺から本宮までの「中辺路」で合祀滅却されずに済んだ王子は、なんと滝尻王子八上王子の2社のみ。このページでご紹介した滝尻から本宮までの間では唯一、滝尻王子のみが合祀滅却を免れました。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 道しるべがあるので、道に迷うことはないと思いますが、地図を携帯されることをお忘れなく。

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(てつ)

2005.10.26 UP

参考文献

滝尻王子宮十郷神社(滝尻王子跡)へ

アクセス:JR紀伊田辺駅から龍神バス栗栖川・熊野本宮行きで40分、滝尻バス停下車。できるだけ早い時間のバスをご利用ください。山のなかで暗くなったら歩けなくなりますので。
駐車場:無料駐車場あり

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