熊野の神様の前世の物語、熊野の本地
1 熊野十二所権現 2 五衰殿の女御 3 異常出産 4 捨て子 5 八咫烏の導き 6 熊野牛王宝印
『神道集』という説話集があります。中世、1352~60年ころ、南北朝の後光厳天皇のころに成立したと考えられるこの書物。各地の有名な神社の神々の前世を解説しています。
神の前世というと現代の私達にはピンと来ませんが、本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想が浸透した平安後期以降、神の前世は仏であると考えられていました。
本地垂迹思想とは、神の本地(本体)は仏であるという考え方。仏や菩薩が人々を救うために仮に神の姿をとって現われたのだという考え方です。もとの仏や菩薩を本地といい、仮に神となって現われることを垂迹といいます。
この本地垂迹思想、中世に入って少し変化を見せます。仏が神となって現われるということはもちろん変わりませんが、仏が神として現われるまでの過程で一度、人間として生まれてくるということが入ってきます。一度、人間として生まれ、人間としての苦しみを経験した上で神となる。人として苦しんだ体験があるから人々を救うことができるのだという考えによるのでしょうか。
仏が一度、人間として生まれ、人間としての苦しみを経験した上で神となる。このような神々の物語が中世、宗教芸能者によって一般の人々に語られ、広められていきました。それらの物語を書物にまとめたものが『神道集』です。
本地垂迹思想が浸透した平安後期には、阿弥陀如来の浄土と考えられるようになっていた熊野本宮。平安の院政期の上皇の熊野御幸を機に高まりを見せた熊野信仰は、鎌倉、室町と時代が進むとともに、武士や庶民にまで広まっていきます。「蟻の熊野詣」と蟻の行列にたとえられるほどに多くの人々が熊野を詣でるようになり、さらに全国各地に熊野神社が勧請されていきます。
この中世の熊野信仰の拡大に一役買ったのが、熊野比丘尼(くまのびくに)と呼ばれた女性芸能者たちです。彼女たちは熊野信仰を広めながら各地を勧進して歩きました。彼女たちは熊野の喧伝のために物語を語りました。熊野の神々の前世譚である「熊野の本地」も、おそらくそのような物語のひとつ。
『神道集』には巻二の六「熊野権現の事」として収録されています。
(てつ)
2009.8.7 UP
2020.2.24 更新
参考文献
- 西尾光一・貴志正造 編 鑑賞日本古典文学第23巻『中世説話集 古今著聞集・発心集・神道集』角川書店