熊野那智の山伏の話
能の演目のひとつに、熊野山伏が登場するお話があります。
陸奥(みちのく。今の福島・宮城・岩手・青森の4県)の安達が原(あだちがはら。福島県二本松市、安達太良山(あだたらやま)東麓)を舞台とする「黒塚(くろづか)」がそれです(観世流では「安達が原」というタイトル)。
登場人物は、前シテが安達が原の女。後ジテが鬼女(シテとは主役のこと。前シテは前半部の主役、後ジテは後半部の主役)。
ワキ(シテの相手役。脇役)が、熊野山伏、那智の東光坊の阿闍梨、祐慶(ゆうけい。未詳)。ワキ連(ワキツレ。ワキを助演する役)が同行の山伏。
アイ(能の前半と後半をつなぐ時に狂言方が演じる役)が、山伏一行に従う能力(のうりき。寺で力仕事をする者)。
「黒塚」は鬼女ものの代表的な曲で、「道成寺」「葵上」とともに”三鬼女”と称せられています。
黒塚(現代語訳)
1.ワキの登場 | |
祐慶 同行の山伏 |
旅の衣には篠掛(すずかけ。山伏の装束)を、旅の衣には篠掛を着ているが、露に濡れた衣の袖が涙で萎れるであろうか。 |
祐慶 | 私は那智の東光坊の阿闍梨である。 |
同行の山伏 | 捨身抖藪(しゃしんとそう。捨身行と抖藪行。断崖から身を投ずる行法と入峰修行)の苦行は、山伏の修行法である。 |
祐慶 | 熊野巡礼や回国修行は、仏門にある者の習わしである。 |
祐慶 同行の山伏 |
ところで、祐慶はこの間、心に立てた願いがあって、回国行脚に赴こうと、我が本山(那智山のこと)を出発して、分け行く先は、紀伊路沿いの海、潮岬の浦を過ぎ、錦の浜(錦の浦か)を行くうちに、潮に濡れて旅衣はいっそう萎れていく。日も重なると間もなく、名だけは聞いたことのある陸奥の安達が原に着いた。 |
祐慶 | 急いできたところ、これはもう陸奥安達が原に着いてしまいました。ああ困ったことだ。日が暮れてきました。この辺りには人里もありません。あそこに火の光が見えるので、立ち寄って宿を借りたいものだと思います。 |
2.シテの詠嘆 | |
安達が原の女 | 本当にわび住まいの身の日々の暮らしほど、悲しいものはまたとあるまい。このような憂き世に飽きが来て、そのうえ秋が来て夜明けの風が身にしみるけれど、心を休めることもなく、昨日も空しく過ぎたので、眠っている夜中だけがやすらぎの私の命である。ああ、はかない人の一生であることよ。 |
3.ワキ・シテの応対 | |
祐慶 | もしもし、この小屋のなかへ我々を入れてください。 |
安達が原の女 | どなたでございますか。 |
祐慶 | 我々は回国行脚の聖です。一夜の宿をお貸しください。 |
安達が原の女 | あまりに見苦しい小屋でございますので、お宿をお貸しするわけにはまいりません。 |
同行の山伏 | もしもし、小屋の主よ。お聞きください。我々は初めて陸奥の安達が原に行き暮れて、宿を借りるべき手立てもありません。どうか我らを憐れんで人夜の宿をお貸しください。 |
安達が原の女 | 人里から遠いこの野辺の、松風が寒々と吹き込む柴の庵に、どうしてお宿を取らせることができましょう。 |
祐慶 | たとえ草を枕とする野宿同然だとしても、今晩だけ泊まらせてほしい。ただただ宿をお貸しください。 |
安達が原の女 | 住み慣れた私でさえも物憂いこの庵に、 |
祐慶 | ぜひ泊まろうと柴の戸を叩くので、 |
安達が原の女 | 戸を閉ざすのも、さすがに思うと痛わしいので、 |
地謡(じうたい。バックコーラス) |
ならばお泊まりくださいと言って、戸を開いて立ち出た。 異なる草も交じる茅の粗末なむしろを、堅いままで今夜お敷きになるのか、お気の毒に。 |
4.ワキ・シテの応対 | |
祐慶 | 今晩のお宿、かえすがえすもありがとうございます。 あそこにある物は見慣れぬ物ですが、これは何と申す物ですか。 |
安達が原の女 | これは枠かせ輪(わくかせわ。糸を巻き取るための道具)といって、私のような卑しい女が仕事に使う物です。 |
祐慶 | ああ、面白い。ならば一晩中使って見せてください。 |
安達が原の女 | 本当に恥ずかしいことです。旅人の見る目を恥じず、いつもの卑しい仕事を見せるなど、物憂いことです。 |
祐慶 | 今晩泊まる宿の主は情け深く、深夜の、 |
安達が原の女 | 月も差しこむ、 |
祐慶 | 寝室の中で。 |
地謡 | 麻糸を繰ることを繰り返すにつけ、華やかだった昔を今に返したいとものよ。 |
安達が原の女 | 卑しい女が紡いだ麻を夜までも糸に縒る、 |
地謡 | 世渡り仕事の物憂いことだ。 |
5.シテの詠嘆 | |
安達が原の女 | あさましいことだ。せっかく人間界に生を受けながら、こんなつらい境遇で世を過ごして、身を苦しめる悲しさよ。 |
祐慶 同行の山伏 |
心細気な言葉であることだ。まず生きている身を長らえてこそ、成仏を願う手立てもあるのだ。 |
地謡 |
このような辛い世に生き長らえて、日々の暮らしに明け暮れて暇のない身であるとしても、心さえまことの道に叶うならば、祈らずとも結局は仏縁を得て成仏できるはずだ。 ただ地水火風の四大元素が仮にしばらくの間、寄り集まって、生死を繰り返し、五道六道に輪廻するのも、ただ心の迷いなのである。 さて、それにしても、五条辺りで夕顔の宿を訪ねたのは、 |
安達が原の女 | 日蔭の糸(神事のときなどの冠の飾り)の冠を着た、それは名高い人(光源氏のことらしい)であったとか。 |
地謡 | 賀茂明神の誕生を祝う祭りに飾ったのは、色糸で飾った牛車とか聞いている。糸桜(しだれ桜)が色も盛りに咲く頃は、 |
安達が原の女 | 花見に来る人が多い晩春。 |
地 | 穂が長く伸びた秋の、糸薄(ススキ。穂を糸に見立てた)は、 |
安達が原の女 | 月に夜を待つのであろう。 |
地謡 | 今はまた卑しい女が糸を繰るが、その糸のように、 |
安達が原の女 | 長い命のつれなさを、長い命のつれなさを思い続けて、声を出してひとり泣き明かすことだ、声を出してひとり泣き明かすことだ。 |
6.シテの中入り | |
安達が原の女 | さて、客僧(山伏のこと)たち、あまりに夜寒でございますので、上の山に上がり木を取って、焚き火にあてて差し上げましょう。しばらくお待ちください。 |
祐慶 | お志は有り難く存じますが、夜中ですし、ことに女性の御身にそのようなことをしていただくとは、思いもよらないことです。 |
安達が原の女 | いや、私は、いつも通い慣れた山道なので、苦しいことはありません。 |
祐慶 | でしたら、なるべく早くお帰りください。 |
安達が原の女 | のうのう、私が帰るまで私の寝室のなかをご覧にならないでください。 |
祐慶 | そのように人の寝室などを見る客僧ではありません。 |
安達が原の女 | こちらの客僧もご覧にならないでください。 |
同行の山伏 | 心得ました。 |
7.アイの立働き | |
従者の能力は、ひそかに寝室のなかを覗き、そこにあるおびただしい死骸に驚き、祐慶に知らせる。台詞省略。 |
8.ワキの立働き | |
祐慶 | 不思議だ。主の寝室の中を、物の隙間からよく見ると、人の死骸が数知れず、軒の高さまで積み置いてある。膿や血が流れ出し、くさい臭いが満ちて、死体は膨張し。皮膚や脂肪はすっかりただれ腐っている。おそらく、これが噂に聞く、安達が原の黒塚に籠っている鬼の住処なのだ。 |
同行の山伏 | 恐ろしい。このようなひどい目に遭うとは。「陸奥の 安達が原の黒塚に 鬼籠もれりと」詠じた歌(平兼盛「陸奥の安達が原の黒塚に 鬼籠もれりと言ふはまことか」)も、こうした恐ろしい様子を詠じたものかと、 |
祐慶 同行の山伏 |
心も惑い、肝を消し、心も惑い、肝を消し、どちらの方へ逃げたらいいのかもわからないけれども、足に任せて逃げていく、足に任せて逃げていく。 |
9.後ジテの登場 | |
安達が原の女 | これ、客僧、止まれ。事もあろうに隠し置いていた寝室の中を暴露されししまった恨みを言うために来た。 胸を焦がす炎は、咸陽宮(秦の始皇帝の宮殿。項羽によって焼かれ、3ヶ月燃え続けたという)の煙のように燃え上がり、 |
地謡 | 野風山風は吹き落ちて、 |
安達が原の女 | 神鳴稲妻は天地に満ちて、 |
地謡 | 空かき曇り、雨が降ってきたが、名高い雨夜の、 |
安達が原の女 | 鬼のように、ひと口で食おうとして、 |
地謡 | 歩み寄る足音、 |
安達が原の女 | 振り上げる鉄杖の勢い、 |
地謡 | 辺りを払って恐ろしいことだ。 |
10.シテ・ワキの抗争 | |
祐慶 | 東方に降三世明王、 |
同行の山伏 | 南方に軍荼利夜叉明王、 |
祐慶 | 西方に大威徳明王、 |
同行の山伏 | 北方に金剛夜叉明王、 |
祐慶 | 中央に大日大聖不動明王(「東方に」から「不動明王」まで、五大尊明王を勧請して祈る唱文。山伏の祈祷の定型)、 |
祐慶 同行の山伏 |
おんころころせんだりまとうぎ(薬師如来に祈る呪文)、おんあびらうんけんそはか(大日如来に祈る呪文)、うんたらたかんまん(不動明王に祈る呪文) |
地謡 | 見我身者発菩提心、見我身者発菩提心、聞我名者断悪修善、聴我説者得大知恵、知我心者即身成仏、即身成仏(不動明王の本誓の偈。山伏の祈祷の定型)と明王の持つ縄による呪縛を念じて責めつけ責めつけ、祈り伏せてしまった。さあ、参ったか。 |
祐慶 | 今まではあれほどに、 |
地謡 |
今まではあれほどに怒り狂っていた鬼女であるが、たちまちに弱り果てて、天地の間に身の置きどころもなく身を縮め、目がくらんで、足下はよろよろと、漂い巡る。 安達が原の黒塚に隠れ住んでいたが、すっかり見られてしまった。情けない。恥ずかしい我が姿だと言う声はなおもの凄まじく、言う声はなお凄まじかったが、凄まじい夜嵐の音にまぎれて鬼女の声も姿も消えてしまった。夜嵐の音にまぎれて鬼女の声も姿も消えてしまった。 |
(現代語訳終了)
カリギュラ効果
覗くなと言われると余計に覗きたくなるのが人間というものです。禁止されるほどやってみたくなる心理現象のことをカリギュラ効果、カリギュラ現象といいます。
覗くなと言われて覗いてしまう。開けるなと言われて開けてしまう。見るなと言われて見てしまう。そのようなお話は、「鶴の恩返し」や「浦島太郎」などたくさんありますよね。イザナギ・イザナミの神話やトヨタマヒメの神話なども。
陸奥の 安達が原の黒塚に 鬼籠もれりと 言ふはまことか
平兼盛(たいらのかねもり。?~990。平安中期の歌人、三十六歌仙のひとり)のこの歌について。
陸奥の 安達が原の黒塚に 鬼籠もれりと 言ふはまことか
兼盛のこの歌を元にして謡曲「黒塚」は作られました。この歌は、『大和物語』(951年頃に原形が成立したと考えられる、歌物語を集めたもの)に収められています。
『大和物語』第58段(現代語訳)
陸奥国にて、閑院の第三皇子の息子であった人が、黒塚という所に住んでいた。兼盛はその娘たちに歌を贈った。
みちのくの安達が原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか
(陸奥の安達が原の黒塚に鬼が籠っていると聞くが、それは本当のことか)
それから、兼盛は「あなたの娘を嫁にもらおう」と言ったところ、親は「まだたいへん若い。いまさるべからむをりにを」と言ったので、「私はこれから京に行く」と兼盛は言って、山吹につけて、
花ざかりすぎもやするとかはづなく井手の山吹うしろめたしも
(花盛りが過ぎてしまうのではないか、蛙が鳴く井手の山吹のような娘を残して都へ行くのが気がかりだ)
と言った。
(以下略、現代語訳終了)
『拾遺和歌集』の詞書
また、勅撰和歌集では『拾遺和歌集』(1005~1006に成立)に採られていて(巻第九 雑下)、詞書には「みちのくに名取のこほりくろづかといふ所に重之がいもうとあまたありと聞きていひ遣はしける」とあります。
『大和物語』のものも『拾遺和歌集』のものもどちらも、たわむれに女達のことを鬼と呼んでいるだけで、実際の鬼のことを指しているわけではありませんが、古くから黒塚に鬼が住むと伝説があり、その伝説を下敷きにして、兼盛はこの歌を作ったのでしょう。
なお『大和物語』と『拾遺和歌集』からすると、「黒塚」という場所は、福島県二本松市ではなく、宮城県の名取郡にあるようですが、どうなんでしょう?
(てつ)
2004.5.20 UP
2020.9.7 更新
参考文献
- 日本古典文學大系『謡曲集 下』岩波書店
- 伊藤正義『謡曲集 上』新潮日本古典集成/li>