錦の浦
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の丹敷浦(錦浦、にしきうら。那智浦ともいう)が登場する歌。
錦の浦については諸説がありますが、那智湾のことを丹敷浦と呼びます(JR那智駅からすぐ)。かつて観音の信者が補陀落浄土への船出を行った海です。
現在では、海浜は夏場、海水浴場として利用されています。和歌山県下屈指のビーチです。
JR那智駅近くにある熊野三所大神社には、『日本書紀』の神武東征の折の記述に登場する熊野の土豪の女酋長・丹敷戸畔(にしきとべ)が祀られています。
『後拾遺和歌集』から1首
白河天皇の勅命で編纂された第4番目の勅撰和歌集『後拾遺和歌集』より。
錦の浦といふ所にて/道命法師
名に高き錦の浦をきてみれば かづかぬあまは少なかりけり
(巻第十八 雑四 1075)
(訳)名高い錦の浦に来て見ると、褒美を与えられない海人は少なかったよ。水中に潜らない海人が少ないように。
錦の浦を錦衣を見立てて詠んだ歌。
掛詞がいくつも使われています。
- 「浦」に「裏」を掛ける。
- 「きて」に「来て」と「着て」を掛ける。
- 「かづかぬ」に「被かぬ」と「潜かぬ」を掛ける(「被く」は貴人から褒美として賜った衣類などを肩にかけること、「潜く」は水中に潜ること)。
- 「海人」に「尼」を掛けるか。
『道命阿闍梨集』には「志摩国の錦の浦といふ所にて」と「名にたてる錦の浦をきてみればかづかぬあまは少なかりけり」とありますが、契沖は紀伊国かといいます。中世には出雲国の歌枕と考えられていました。
『文応三百首』から1首
後嵯峨天皇の第2皇子で、鎌倉幕府6代将軍・宗尊親王(むねたかしんのう、1242~1274)の家集『文応三百首』から1首。
こきまずる柳桜もなかりけり 錦の浦の春のあけぼの
(春七十首 28)
(訳)まぜあわせる柳桜もないことだ。錦の浦の春の夜明け方は。
「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」(古今集・春上・素性)を本歌とします。
(てつ)
2003.5.22 UP
2021.4.1 更新
参考文献
- 新日本古典文学大系8『後拾遺和歌集』 岩波書店
- 新日本古典文学大系47『中世和歌集 室町篇』 岩波書店
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